「謝罪すれば罪を償ったことになるのか」人気フェイクドキュメンタリー作品が私たちに突きつける“儀式としての謝罪”
謝罪とは本来は個人の感情がベースにあるものなのに…
謝罪って本来個人のものであるはずなのに、昨今は個人のものになっていない現象だと思うんです。それこそSNSの発達とともに毎日いろんな謝罪を目にするし、その謝罪も個人が個人に謝っているものというより、ある種“儀式”として行われてるものが9割5分ぐらいの感覚があって。 よくある構文としての「ご不快になられた方がいたとしたらお詫び申し上げます」みたいな。「謝った」という既成事実をつくるための取材というか。そういうテクニックが出てきている時代だからこそ、謝罪という本来は個人の感情がベースにあるものをテーマにフェイクドキュメンタリーを作れたら面白いんじゃないかという話し合いから、今回の『飯沼一家に謝罪します』というかたちになりました。 ──ひと昔前だとテレビの記者会見で「このたびはお騒がせして申し訳ございません」と頭を下げているイメージがあります。 大森 テレビと謝罪という組み合わせも最近は少なくなりましたが、いろんな謝罪を目にしてきましたよね。中には誰が誰に謝っているのか分からないけど、ここで謝罪をすることが絶対に必要だったということだけは分かる、みたいなものもあったり。それを見た時に感じる不穏感というか、グッと引きつけられるような感覚を、フィクションでも生み出せたら、というのは思いました。 ──”謝罪すれば罪を償ったことになるのか”というテーマを、4夜連続でどのように描こうと思ったんでしょうか?
大森 ストーリーとしては、2004年──今から20年前にテレビの放送枠をわざわざ買い取って制作された『飯沼一家に謝罪します』という30分番組を放送していて、この番組は一体何だったかを追っていくフェイクドキュメンタリーです。 そこからさらに5年前の1999年、『幸せ家族王』という家族全員でチャレンジする視聴者参加型番組に出ていた飯沼一家が成功して、見事100万円とハワイ旅行をゲットするんですけど、その人たちに矢代が「悪いことをしてしまった」と言っているところから話がスタートします。どうやら矢代は番組の課題をクリアできるように運気を上げる儀式を飯沼一家からお願いされて、やったと。それによってチャレンジは成功したように見えたけど、その後、火事で飯沼一家は亡くなってしまうんです。 その矢代の儀式はどういうものだったのか、なぜ矢代は謝ったのかを当時の番組関係者への取材を重ねていくうちに、いろんな情報が集まって少しずつ明らかになっていくという構成です。