「風俗で合計1000万ドルを稼いだ」…アメリカ合法風俗の”伝説”が告白する壮絶な人生
合法風俗で働いて合計1000万ドル稼いだ
アメリカ50州のうちネバダのみで、売春宿の経営が法的に認められている。1971年に売春宿の経営が合法化され、以後、客にも娼婦にもHIV感染者を一人も出すことなく歴史を刻んできた。今日、同州には19のRANCHが存在する。 【写真】アメリカ合法風俗の“伝説”と呼ばれた女性の姿 「この業界のトップは、年収100万ドル(9月21日のレートで、およそ1億4,400万円)以上を得る。2019年くらいに120万ドル稼いだ子が話題になったけど、私は、175万ドルに達した時期がある」 Chicken Ranchのロビーに差し込む柔らかな秋の日差しを浴びながら、赤いソファに腰掛けたエアフォース・エミーは言った。人を食ったような源氏名だが、彼女は19歳から23歳まで、実際にアメリカ合衆国空軍に勤務している。 笑顔を絶やさず、話好きな女性だ。エミーは、米国セックス産業の第一人者として知られる。大手ケーブルTV局のHBOが、2000年代にネバダ州北部のRanchに関するドキュメンタリーを作成し、番組内で名を売った。同番組は人気を博し、続編が作られる。エミーは全米中に知られる陽気な娼婦となった。 「私がミリオンを得ていたのはHBOに出演していた頃。貯金は全くしなかったけれど、この世界に入ってトータルで1000万ドルは稼いだわ。あの作品において、私が演技したことはない。カメラが素の私を撮影した。楽しかったわ」 ――そのおカネはどこへ行ったんでしょう? と訊ねると、「飲み代かなぁ」と答え、ソファの背に凭れ掛かるように笑い転げた。
家は裕福な家庭だった
彼女の歩みを質した。 「オハイオ州クリーブランドから20マイル東の地で生まれた。誕生日? 女性に失礼なことを訊いちゃいけないわ(笑)。クリーブランドって、メジャー・リーグ・ベースボール(MLB)のインディアンズがあったでしょ。子供の頃、父方のグランパがインディアンズのホームゲームに毎試合連れて行ってくれた。一試合も欠かさずに。 グランパはネジを作る工場を営んでいて、潤っていたの。今は、インディアンズじゃなく、ガーディアンズだっけ? 何で、名前を変えなきゃいけなかったのかしらね。とても残念だわ」 MLBのホームシートを持っていた祖父の存在は、エミーが裕福な家庭で成長したことを示している。 「物凄くリッチって訳じゃないけれど、アッパーミドルクラスで育った。2人の兄と2人の妹に挟まれている。父は電気溶接の職人だった。勤務していた電気会社が、いくつもの大きなビルの仕事を請け負っていたので、そこそこの高級取りだった記憶がある。クリスマスのボーナスだけで10万~20万ドルもらっていたわね。 だから我が家は、ゴージャスなクリスマスパーティーが開けた。父からはスノーモービルやポニーなど、素敵なプレゼントをもらった。メキシコのナスカに家族旅行したこともある。当時私は、アクロバットダンス、ジャズ、ポニーを世話することが好きだった。 母は私が高校生くらいまで、地域のショッピングモールでプロモーション・ディレクターを務めていた。ブルーカラーエリアじゃなく、ホワイトカラーの白人社会で育った。両親からは『何でも一生懸命取り込みなさい。ドラッグやタバコ、酒に溺れるとトラブルになるから、絶対に手を出さないこと』って躾けられた」 だが、酒とタバコはその後のエミーに欠かせないものとなる。 その後、彼女は小さい頃の夢を説いた。後編『「13歳の時、ヒッチハイクで行為を覚えた」…米合法風俗の「伝説の娼婦」の壮絶な人生』では、エミーがこの業界に入った経緯が語られる。
林 壮一(ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属)