47歳元カリスマホスト城咲仁が「実家の中華料理店」で働くワケ。涙が止まらなくなった“父の言葉”
チャーハン修行後の仕事に対する変化
父親のイズムが自分にもあったことに気づいたわけだが、それと同時に父親に比べたら自分の仕事ぶりはまだ甘いことを知る。そこで、さらに磨きをかけるための努力を惜しまなくなったという。 「自分では100%準備していたつもりでも、まだまだ甘かったんです。ウチの岡山実という偉大な親父の『とことん準備』というものが入ったことで、もっと細かいこと、今までだったら端折っていたこと、もしかしたら番組としては必要ではないかもしれない情報まで頭に入れておくようになりました」 さらに、チャーハンの修行をしたことで、仕事に向き合う姿勢にも変化があったそうだ。 「この商品があるから僕は番組に出演できる。だから、この商品を徹底的にリスペクトし、絶対に良いモノだということを世の中に知らしめるんだ、という情熱を持って紹介するようになりました。それくらいしないと想いって届かないんですよね。そしたら番組のスタッフにも言われたんです、『仁さん、チャーハンの修行に入る前と後で言葉の重みが全然違いますね』って」
修行したことで店が延命した可能性も
修行のおかげで新たな発見がいくつもあった城咲さん。続けて「もし、父親のチャーハンを冷凍商品化しようと思わなかったら、今の自分はなかったです」と話した。それだけでなく、お店はもっと早く閉店していた可能性もあったという。 「親父の下で修業に入ってホントに良かったです。自分の甘さに気づき、もう一度人間形成されたので。最近、大きい仕事ばかり頂いているんですが、修行をしていなかったら今の自分はないので親父に助けられたんだなと。だから親父が倒れたとき、今度は自分が助けたい、親父にとって一番大切なお店を存続させたいと思い、仕事がないときにフォローとして厨房に立ったんです。それも修行していたからできたわけで、修行していなかったら親父が退院した時点でお店は閉店していたかもしれません」
人生について考え直す機会に
年内いっぱいで店じまいすることが決まっている丸鶴。父親のお店とはいえ、自分の人生にも大きく影響しているだけに、今回の閉店は城咲さんにとっても人生のターニングポイントとなった。 「チャーハン修行、親父の病気、お店の閉店と、今僕の人生においてターニングポイントがきたので、もう一度人生を考えさせられています。親父をサポートしつつ、あと2年はお店を続けると言っていたのに実現できなかった。もちろん、親父の体調が全てだから、自分がどうこうではないかもしれないけど、結果的に男として有言実行できていないわけで……。だから、しばらくは自分を恥じてみようかなと。今回のお店の閉店を機に、人に対する想いとか、仕事がもらえるのは当たり前のことじゃないとか、命があることとかについて、改めて考えてみます」