【解説】シリア・アサド政権崩壊の3つの要因、ロシアに逃げたアサド大統領、高笑いしている2人の権力者は誰か?
シリアのアサド独裁政権の崩壊は世界の意表を突くものだった。反体制派が進撃を開始してからわずか10日余りの急展開で、アサド大統領はロシアに亡命した。だが、そうした中で今回の政変を仕掛けたとみられているのがトルコのエルドアン大統領だ。権力の空白が生まれたシリアの利権をめぐる新たな“グレートゲーム”が始まった。
「アラブの春」の最終章
シリアは半世紀以上、アサド一族に私物化されてきた。1970年、無血クーデターでハフェズ・アサド国防相が権力を握って以来、国民への厳しい監視と弾圧政治で苛烈な統治が続いてきた。次男のバッシャール・アサド氏が父親の死去を受けて大統領に就任してからも親族や側近、軍部によるネポティズム支配は変わらなかった。 筆者が通信社の特派員時代に定宿にしていた首都ダマスカスの中心部にあったメリディアンにも宿泊客を監視する情報機関員があちこちで目を光らせ、外出時には必ず追尾された。シリアにはペルシャ湾岸諸国ほど豊富な石油も産出されず、これといった産業もない。経済はサウジアラビアなどの援助に大きく依存するものだった。 湾岸諸国がなぜシリアにカネを出したのか。それはシリアがアラブの代表として敵国のイスラエルと対峙する前線国家であり、イスラエルから守る“用心棒代”を経済援助の名目でもらっていたということだ。援助の一部は国家の運営費に充てられ、一部はアサド一族のポケットに入った。 この構図はアラブ世界のイスラエルへの敵対意識が薄れ、中東の独裁政権が次々に倒れていった「アラブの春」の出現で一変した。シリアでもアサド独裁政権に対する反体制派が蜂起したが、かつては味方だったサウジなど湾岸諸国はアサド一族を見限り、反体制派を支援した。 その理由はアサド一族がイスラム教シーア派の流れをくむアラウイ派に属し、反体制派はサウジなどと同じスンニ派という宗教的な側面が大きかった。アサド政権は一時、反体制派の攻勢で窮地に陥ったが、シーア派の盟主イランと、シリアに海軍基地を保有していたロシアが本格的に軍事支援し、反体制派を逆にシリア北西部に押し返した。 だが結局今回、政権はアッという間に崩壊した。「アラブの春」の最終章が遅れてやってきた、と言えるだろう。