労働移動の円滑化とリスキリング:岸田首相は何を目指すのか
日本の賃金が停滞してきた理由
なぜ労働市場改革が鍵となるかを探るには、日本の賃金停滞の理由を確認する必要があろう。日本では2000年をピークに人口が減少し始めたこともあり、企業の期待成長率が低下し、結果として企業の多くがコストカットや海外投資を優先し、人材など無形資産やデジタルトランスフォーメーション(DX)投資などの国内投資を抑制した。特に日本の無形資産投資は国内総生産(GDP)比でみても、欧米先進国比低位にあり、こうした人への投資の低さが、労働の質と生産性を低下させてきたと考えられる。 人への投資が低調だった理由として、いくつかの構造的要因も指摘できる。第一は、2000年頃から非正規社員が増加したことである。非正規社員は22年には2100万人を超え、雇用者(役員を除く)に占める割合は36.9%まで増加した。女性労働者の過半は非正規雇用で、日本は男女の賃金格差が経済開発協力機構(OECD)諸国の中でも大きい。 第二は、日本企業の多くが年功序列型賃金体系となっており、ジョブ型雇用を採用する企業がまだ少ない。このため、特にデジタル人材などは、ジョブ型採用で高い賃金を提示する海外企業と比較すると、国際的な人材獲得競争に劣後している。 第三は、労働市場の流動性が低かったことである。企業は企業内教育のみを行い、賃金が低くても多くの従業員は終身雇用で守られていた。また労働政策も、企業と雇用の維持に重点が置かれてきたため、成長企業または産業へ労働移動を促してマクロ的に賃金を上げる政策支援、いわゆる「積極的労働市場政策」が実施されなかった。
労働市場改革の行く末
しかし、日本は生産年齢人口が減少し人手不足が深刻になっている。今後は、若者や女性、シニアなど、より多様な人々が能力を発揮でき、付加価値の高い画期的イノベーションや生産性向上を実現し、賃金が持続的に上がる経済に変える必要がある。こうした問題認識に立ち、新しい資本主義実行計画2022年とその改訂2023年では、人への投資と労働市場の改革や、スタートアップの支援など、構造的改革を伴う制度整備が掲げられた。 まず、2022年実行計画では、人への投資、賃上げの実現に加え、スタートアップや、社会課題を解決するシーズとなる科学技術、そしてDX、グリーントランスフォーメーション(GX)投資を支援していくことが決まった。その後、これらの実現に向けて「スタートアップ育成5か年計画」も策定された。23年6月に公表された実行計画改訂では、持続的賃金上昇を目指した労働市場改革が成長戦略の主軸となり、ジョブ型雇用の拡大、リスキリング、労働移動の円滑化の三本柱を掲げた。大手製造業やIT企業ではジョブ型雇用が採用され始めているが、より多くの企業でジョブ型雇用も入れた人事制度の採用が期待されている。個人のリスキリングを政府が直接支援し、雇用調整助成金もリスキリング強化へのインセンティブを付与することとなった。また、成長分野への労働移動の円滑化では、失業給付制度の見直しや、キャリアアップに関する官民情報共有化などの措置が講じられている。