労働移動の円滑化とリスキリング:岸田首相は何を目指すのか
翁 百合
岸田文雄首相が掲げる労働市場改革。「新しい資本主義」の実行計画の中で強調する改革の論点とは。
日本経済の変革を後押し
岸田政権は、個人のリスキリングの支援などに5年間で1兆円規模の予算を投じ、推進を図っている。これらは、成長分野への労働移動を円滑化し、長年停滞してきた日本の賃金を持続的に引き上げて、経済成長を実現する上で重要な政策だが、まだ課題は山積している。本稿では、現在取り組もうとしている労働市場改革の背景と内容、残る課題などを整理する。
人への投資と労働市場改革はなぜ必要か
まず、労働市場改革について、岸田政権が掲げる成長戦略の中での位置付けを確認する。日本の成長戦略は「新しい資本主義」という理念に基づいているが、そのキーワードは関連する以下の二つである。その第一は「成長戦略で二兎(にと)-『社会課題の解決』と『企業価値の向上』-を追う」というものである。2010年代以降、地球環境や所得格差への注目が欧米諸国で高まり、世界の長期投資家の投資姿勢は大きく変化した。株主に長期的な価値をもたらすには、企業は全てのステークホルダーのために価値を創造することが重要で、経営者は地球環境に配慮し、従業員のイノベーティブな環境を整える取り組みが必要というものである。特に先進各国では所得格差が広がり、企業経営者は従業員への配慮が一層重要になっている。 第二のキーワードは「成長と分配の好循環の実現」である。これは、特に日本の現状に照らして重要である。日本経済は1990年代以降、全要素生産性の伸びは横ばいで低成長を余儀なくされ(図参照)、実質賃金上昇率も低くとどまってきた。言い換えれば、成長が十分でなかったため、所得分配への好循環が実現できなかった。また、日本の賃金停滞は、海外への人材流出を招き、国際競争力も低下させる悪循環につながってきた。 このように新しい資本主義とは、「人への投資」の重視を意味している。達成のためには、特に日本では雇用慣行や労働市場の改革が鍵となると考えられる。