【大学野球】50年ぶりに着用したキャプテンナンバー 「一球入魂」への思いが詰まった始球式
見事なストライク投球
【第73回全日本大学選手権】6月10日 第73回全日本大学選手権が6月10日、神宮球場と東京ドームで開幕した。神宮の開幕試合前(福井工大-桐蔭横浜大)には早大OB・小橋英明氏(72歳)が始球式を行った。50年前(第23回大会、1974年)の優勝キャプテン(三番・一塁)。ノーワインドアップから投じられた山なりのボールは、見事なストライク投球だった。 「早稲田のOBは注文が多くて(苦笑)。『プレートの前から投げるな!!』『ノーバウンドで投げろ!!』と……。緊張しました。(現役時代は一塁手で)マウンドに立ったことはありませんから。本塁までこんなに遠いのか、と。練習では届かなくて。マグレが起きました。良い経験をさせてもらいました」 小橋氏は強打の右の内野手で岡山東商高3年時、プロ6球団から話があったという。 「早稲田に行きますから、と当時の監督が断りを入れたそうです。しかしながら、入試で落ちてしまいまして……。社会人野球も考えましたが、監督から『お前ならば、1年で合格できる』と、浪人生活を選択したんです」 大学進学を表明していたにも関わらず、翌年のドラフトで近鉄から8位指名を受けた。異例の浪人中のプロからのオファーである。しかし、神宮球場でのプレーを夢見てみた小橋氏の心はブレなかった。1年間、猛勉強に励み翌年、早大教育学部に入学した。 「大学進学? 大正解です。仮にプロ入りしても3、4年でクビになっていたと思います。大学入学以降もケガが多かったですからね」 早大入学時は遊撃手で、2年春から三塁手として頭角を現したが、開幕前に故障。代わりに入ったのが同級生の東門明氏だった。東門氏は同春のリーグ戦で活躍し、日米大学選手権に出場。第2戦に代打で、安打で出塁すると、二ゴロの際、併殺を狙った米国の遊撃手の一塁送球を頭部に受け、その後、帰らぬ人となった。以来、東門氏が早大で着けていた背番号9は「欠番」となり、小橋氏は仲間の思いを背負って戦ったことは言うまでもない。