ブラジル日系社会『百年の水流』再改定版 (81) 外山脩
一九三二年七月、ヴァルガスに不満を抱くサンパウロ州が叛旗を翻した。既得権益を次々と奪われ、怒り心頭に発した州内諸勢力が「憲法制定要求」を大義名分として、決起したのである。 この内戦は、ヴァルガスの勝利で終わった。が、彼は反対勢力を宥めるため、新憲法制定を急ぐことにした。 翌三三年十一月、その新憲法の制定議会が開かれることになり、各州から議員が選出された。 ここで、議員の一人としてミゲール・コウトが登場してきたのである。しかも議員の中には、ミゲール・コウトと親しい医師やアルベルト・トーレス友の会(その学説の継承者たちの集まり)のメンバーがかなり居た。 しかし、これも日系社会や大使館は、気づかなかった。迂闊なことであった。 制憲議会 排日論小史はここまでとし、制憲議会へ話の舞台を戻す。 二十六人委員会が、厖大な修正案を取捨選択している間、議場では、その提案者の一部が壇上にのぼり、自説を繰り返していた。日本移民を標的とする修正案を提出した四人も、そうであった。 その演説は激越だった。 ミゲール・コウト。 「彼ら日本人は、自己の領土に移住するが如き気持ちでおり」 「日本人は移住地の国民を支配する。銘記せよ、満州の国土を。ブラジルは日沈む帝国と化す。日本移民は主を裏切る山豚と化すであろう」 アルツール・ネイヴァ。 「日本人の国民性は侵 略的であり、満州に於ける行動は宣戦布告なき横領である」 「日本移民は、この国に自己の国をつくりつつある。その為す処、悉く自己本位である」 シャビエル・オリベイラ。 「日本移民は精神病が多い」 モンテイロ・バーロスは比較的穏健に同化論に基づき、日本人だけでなくドイツ人の事例も取り上げ、移民の集中居住禁止を説いた。 しかし他の三人のそれは、どうも、おどろおどろしく、それが却って不自然であった。 それと(日系社会から見れば)ミゲール・コウトは、それまでのいきさつからも、こういう言動をすることは判らぬでもなかった。が、他の三人は唐突で不自然過ぎた。背後に何かありそうだった。 一方で、反論に立つ議員もいた。サンパウロ州選出の親日派議員カルロス・M・アンドラーデ(ブラ拓顧問弁護士)は、排日論には何ら根拠なしと主張、 「日本移民は、極めて農民精神に富む有用なる分子」 「同化問題については、時が一切を解決する」 と断じ、反復登壇して反論した。 ほかにも日本移民擁護論を唱える議員もいたが、数は少なかった。 この排日修正案問題は、ポルトガル語の新聞が盛んに報道したため、議会外でも甲論乙駁、議論沸騰、いつの間にか制憲議会の最大の焦点となってしまった。 議会外では、リオ医大のブルーノ・ローボ教授、十年前のレイス法案の時に名前が出たネストール・アスコリ弁護士などが、日本移民擁護論を唱えた。 が、やはり排日論の火の手は盛んだった。 日伯新聞の三浦とブラジル時報の黒石は、一連の排日的な動きから発する不自然さの正体についても情報を得ていた。 背後に強力な工作者がいる、それは某国政府である、と。 これに対抗するためには、緊急に日本政府が適切な手を打つ必要があった。ところが、林大使はアマゾン旅行中である。 三浦は「情勢は煮えに煮えている。どうみても林大使の今回の行動は頗るマズイ。全くなっとらん」と、紙面で歯噛みしていた。 黒石は、非常事態であることを日本の世論に訴えることを思いつき、東京の有力新聞へ電報で記事を送った。が、外務省の干渉で掲載は押さえられてしまう。外務省は、リオ大使館からの意見具申で、そうしたという。これまた理解しがたい意見具申であった。 緊張が増す中、制憲議会では、二十六人委員会が二月二十二日、総ての修正案の取捨選択を終え、新憲法法案を本会議へ送った。 その内容は、日系社会をホッとさせた。四件の排日修正案は、その法案から外されていたのである。 「人種差別を明示した項目を憲法に盛り込むことは不適切で、立法化するとしても、憲法ではなく普通の法律によるべきだ」 と、同委員会が判定したためであった。 しかし、これで落着ということには、ならなかった。