「余命1か月から9年が経過」“希少乳がん”の看護師が、200回の抗がん剤治療をしながらやったこと
「諦めたらゲームオーバーです」と語ったのは、がん宣告当時まだ52歳だった看護師、Graceひろさん。現在ではYouTubeにも活動の幅を広げる彼女だが、200回を超える抗がん剤治療を乗り越えるためにやった“あること”を聞いた。 【写真】乳がん宣告から6年…ようやく念願の看護師に復帰
もう一度ナース服を着たい
2015年、余命1か月を宣告されたのは、看護師のGraceひろさん。当時まだ52歳の若さだった。 「私のがんは、紡錘細胞がんという希少がんだったのです。このがんの特徴は、急速に大きくなって、痛みがあること。しかも“トリプルネガティブ”という非常に予後の悪い種類のものでした」 紡錘細胞がんは乳がん全体の1%未満といわれ、増殖速度がきわめて速い。トリプルネガティブ乳がんは、転移を起こす確率、再発する確率が他の乳がんより高いことが知られている。現時点では有効な治療法もない。 「最初にかかった乳腺専門病院の女性医師が、本当に素晴らしい方でした。急を要するタイプのがんなので、がん研有明病院でなければダメだ、ときっぱり言い切ってくれた。通常だと候補の病院のリストを渡されて自分で選ぶものですが、そこでは先生自ら予約を取ってくれました。本当に感謝です」 自己検診でがんを見つけ、専門病院へと初動は早かったひろさんだが……。 「看護師なので健診は年2回あった。それなのに気づけなかったのは悔しかったです。そこから受診、検査、手術までは、1日も無駄にしませんでした」 しかし、手術後1か月もたたずに呼吸困難になり、全身転移が判明。そこで、延命治療の宣告をされた。 「このままベッドの上で酸素チューブにつながれたまま死ぬのは絶対に嫌でした。病院で立ち働く看護師さんの姿を見て、つい最近まで私もあちら側だったのに……と悔しくて。もう一度ナース服を着て働きたいと強く思いました」 緩和病棟の予約をすぐキャンセルし、抗がん剤治療を始めた。看護師としての経験から、抗がん剤の副作用については嫌というほど知っていた。 「実は、転移が見つかる前から、がん治療についてネットで検索を続けていました。そのときに、西脇先生の本に出合いました」 『ハタイクリニック』院長の西脇俊二医師は、断糖療法と超高濃度ビタミンC点滴による代替療法を提唱している。簡単に言うと、がんのエサである糖質を制限して兵糧攻めにし、弱ったがん細胞を超高濃度ビタミンCで死滅させることを試みる療法だ。 「緊急入院中に私は断糖療法を始めました。院食は糖質の少ないメニューを選び、白飯は食べませんでした」 当時はまだ出始めだったローソンのブランパンと糖質ゼロのハムを友人に届けてもらい、主食にした。