黒川紀章・コシノジュンコ・横尾忠則が飛躍した大阪万博…55年後、若い才能が挑戦
万博考 祭典の意義<3>
1970年大阪万博の会場は近未来を思わせた。奇抜な外観の展示館が並び、中でも異彩を放っていたのが、カプセルを組み合わせた「タカラ・ビューティリオン」や真っ黒な鉄の格子が赤いドームを抱える「東芝IHI館」だ。デザインしたのは建築家の黒川紀章(2007年死去)。その後世界の建築界に多大な影響を与えた巨匠は、万博開幕時は35歳だった。 【写真特集】技術と文化を紹介する、13の民間パビリオン
展示館などの前衛的なユニホームはファッションデザイナーのコシノジュンコさん(85)が手がけ、ジャンプ台のようなスロープ中央にドームが突き出た「せんい館」のデザインは現代美術家の横尾忠則さん(88)が担当した。その斬新な意匠は後の活躍を予感させる。
大阪・関西万博でも、多彩な人材が新たな挑戦をしている。女性の活躍を紹介する「ウーマンズパビリオン」を設計する建築士の永山祐子さん(48)は「未来の実験場である万博でメッセージを発信すれば、建築に対する社会の意識を変えられる」と意欲的だ。
パビリオンには、前回のドバイ万博で自身が手がけた「日本館」の外観を彩った麻の葉模様の建材を再利用する。万博から次の万博へと資材を大規模に転用する先駆的な試みとして注目される。
資金面など苦労は多い。一般的なパビリオン解体には国の予算が出るが、再利用のための部品ごとの解体や輸送は対象外。永山さんは独自に協力企業を探し、日本館を建設した大手ゼネコンの大林組や総合物流会社の山九などが賛同してくれた。持ち帰ったパーツは1万個以上に上った。
建築資材のグローバルな再利用は、各国で異なる基準が壁になる。ドバイの日本館の建材は欧州の規格で製造され、再利用のためには日本のJIS規格の取得が必要だった。しかし、今回は万博期間中の仮設建築物のため、大阪市が基準の適用外として許可した。
永山さんは「実社会でも、法整備を含めた建材再利用の動きが起きればいい。チャレンジすることで得られるものの大きさを伝えられたら」と話す。