「最高のホテル」という好印象を下げる意外な原因 ホテルや映画のレーティングの知られざる罠
営業成績やボーナスの額、テストの点数、年齢や体重、レーティングや「いいね」の数など、私たちはなんでも計測し、数値化する世界に生きている。 しかし、私たちの脳は数字に無意識に反応してしまうため、数字はあなたを支配し、楽しい活動や経験をつまらないものにし、他人との比較地獄に陥れ、利己的で不幸な人間にしてしまうという。今回、過剰な数値化がもたらしているさまざまな問題を明らかにし、その解決策を示した『数字まみれ:「なんでも数値化」がもたらす残念な人生』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。 【写真を見る】「数字資本主義」のワナがわかる本
■評価が経験の質を落とす 何年か前、私はマイアミビーチで開催された大規模なIT会議で締めくくりの講演を依頼されていた。 開催場所は私の自腹では決して利用できないような高級ホテルだったが、会議に招かれていたために、家族とともに前の週から無料で滞在することができた。 まるで天にも昇る心地だった。そのホテルには、歴史、有名人の宿泊客、すばらしい雰囲気、見事な環境と、すべてが揃っていた! 家に帰ったら親戚や友人たちに話すのを、とても楽しみにしていたのを覚えている。
ところが、チェックアウトをすませて空港行きの乗り物を待っているとスマートフォンの着信音が鳴り、「当ホテルでのご滞在を評価してください」というメッセージが届いた。 部屋から食事、サービス、設備の清潔さ、音の大きさ、環境まで、あらゆることを1から10までの数字で採点するようにという依頼だった。 滞在は申し分なく感じていたのだが、プールサイドのヤシの木から海風に吹かれて落ちた大きな葉があちこちに散らばっていたのを思い出し、清潔さには7をつけざるを得なかった。
同じことが音の大きさにも言え、夕方になるとはじまる生演奏が大きく響きすぎていたように思えた。 そうやってすべての採点を終えてみると、最終的に私が下した評価の中央値は10のうちの8になっていた。 結果をまとめるとそういうことになった。すばらしいと感じていたホテルでの滞在を要約してみたら8になり、なんだか急に、それほどすばらしいものではないように思えてきたのだ。 帰宅して周囲の人たちから会議はどうだったかと尋ねられたときには、快適だったと答えた。「8のホテルに滞在したんだ」。