「知の巨人」松岡正剛が最期に日本人に伝えたかった「日本文化の核心」
「ディープな日本」を理解するために
また10年後、ベルリンの壁がなくなった反面、湾岸戦争が新たな大矛盾をもたらしていたなか、日本はバブルが崩壊したままに「かわいい」文化を蔓延させていました。 それでもインターネットが登場して、これなら日本は独自の編集文化力をふたたび発揮するだろうと期待をしたのですが、電子日本はアメリカン・テクノロジーの追随に走るばかり、そこへもってきて上っすべりの和風テイストばかりが横行するようになっていました。 たらこスパゲッティや独特ラーメンがなくなったわけではありません。むしろ和食はさらに工夫を磨き、アニメは日本の少年少女の幻想と哀切を描き、日本語のラップが登場し、オシムは「日本らしいサッカー」に徹するべきだと言いだしていた。 けれどもそうしたものが何を語ろうとしているか、小泉・竹中劇場の新自由主義の邁進や、グローバル資本主義に席巻されるマネー主義は、そうした試みを軽々と蹂躙していったのです。 日本の哲学が浮上するということはなかなかおこりません。Jポップや日本アニメや日本現代アートに何がひそんでいるのか、そこをあきらかにするための日本文化や哲学はほとんど解説されはしなかったのです。これはいったん『愚管抄』や『五輪書』や『茶の本』や『夜明け前』に戻るしかないだろうと思えました。 こうして私もいろいろ書いたり語ったりするようになったのですが、本書はそれらの反省と忸怩たる思いを払拭するためにも、日本文化の真骨頂というか、日本文化の正体というか核心というか、ずばりディープな日本の特色がどこにあったのかについて、新しい切り口で解説してみようと試みたものです。 お米のこと、柱の文化について、客神の意味、仮名の役割、神仏習合の秘密、間拍子と邦楽器、「すさび」や「粋」の感覚のこと、お祓いと支払いの関係、「まねび」と日本の教育、公家と武家の日本のガバナンスのありか、二項同体思考やデュアルスタンダードの可能性などを採り上げ、それぞれを相互に関連させながら手短かに解読してみました。日本文化案内としてはかなりユニークな視点を組み合わせたつもりです。 さらに連載記事<「知の巨人」松岡正剛が最期に伝えたかった、「日本文化」を理解するうえで「もっとも重要なこと」>では、日本文化の知られざる魅力に迫っていきます。ぜひご覧ください。
松岡 正剛