「合唱のような不気味な汽笛が響いた」。さぶちゃんの同級生が記憶する洞爺丸沈没の夜 翌朝、高校の屋上から見た光景は…
洞爺丸沈没の約15分後に山岸さんが聞いた汽笛は何だったのだろうか。 洞爺丸以外に第11青函丸、北見丸、日高丸、十勝丸の青函連絡船の貨物船4隻が午後8時ごろから午後11時40分ごろにかけて相次いで同じ函館湾で沈没した。死者は約270人に上る。裁決によると、湾内で沈没船を含め十数隻の船がひしめくように停泊していた。 荒れ狂う大波や強風で阿鼻叫喚の状況が続く中、洞爺丸の惨劇を察知した他の連絡船か、救難に向かおうとした船が一斉に汽笛を鳴らした可能性がある。 ▽級友と目撃した白波の立つ黒っぽい船底 事故の翌朝、叔父からたたき起こされた。「光生、洞爺丸が沈んだとラジオで言っているぞ」。山岸さんは身震いした。通っていた函館西高は観光スポットの八幡坂を登り切った高台にある。「登校途中、至る所で木が根こそぎ倒れていた」 教室では洞爺丸の話で持ちきりだった。住宅損壊など台風被害のため欠席する生徒が多く、朝会後に授業は中止。山岸さんは級友と一緒に校舎の屋上に上がった。
七重浜の方角に目を凝らすと、沖合で白波を立てている黒っぽい船底が見えた。洞爺丸だった。ラジオのニュースが沈没地点に言及していたので、間違いない。「あんな大きな船がひっくり返るなんて」。ボートで並走した憧れの船の無残な姿に息をのんだ。そして船とともに海中で命を落とした乗客らに思いをはせ、黙って手を合わせた。 山岸さんは就職活動で北海道警と旧国鉄の採用試験を受けた。高校の教師から警察官を強く勧められたが、青函連絡船の船長になる夢を捨てきれなかった。 結局、採用通知が早かった道警に入った。「警察官人生に悔いはないが、洞爺丸の雄姿と夜半に聞いた汽笛の音は忘れることができない」。青春の一ページとして心に深く刻み込まれている。