ルールや社会を“ゆるめる”ことで生きやすい社会に 世界ゆるスポーツ協会代表理事・澤田智洋
人生が一変したのが、32歳の時だ。生後3カ月の長男の目が、急に充血し始めた。驚いて病院に連れていくと「腫瘍かもしれない。脳に近いので命の危険もある」と言われ「地獄に突き落とされたような気持ちになった」という。手術を受け、全盲と診断された。その時から3カ月間「時が止まった」。 ■当事者に会って話すことで 自分という器の中身が一新 CMのアイデアは一言も浮かばず、テレビ番組も映画も頭に入ってこない。ただ「どうして息子が」という、運命のようなものに対する怒りや、息子の人生の大変さを想像して、悲しみが頭の中に渦巻いた。仕事の成功体験も価値観もプライドも、息子の障害の前には何の役にも立たず、自分が「空っぽ」になってしまった、と感じた。 悩みに悩んで、もうこれ以上どこを掘っても悩みどころがなくなったと思った時、ようやく「息子は目が見えない」ことが吹っ切れた。 「目が見えなければ文字は書けない。それは覆しようのない事実です。できないことはできないと諦め、ならば何ができるかを知るために、行動を起こそうと思った」 障害に関する本を読みあさったが、自分たち家族の状況に合った情報はなかなか得られない。そこで直接話を聞こうと、つてをたどって約200人の当事者に会った。 就労支援の仕事を「天職」だと話す人、転んだ時に「ポーンと」義足が外れて「足が取れた!」と周囲から驚かれた、というエピソードを笑って話す人……。彼ら彼女らの話を聞いて「障害者は不便かもしれないが、不幸ではない」という言葉が、自身の中で実感を持つようになった。 「一度空っぽになった頭に、当事者の言葉が吸い込まれるように収まっていった。自分という器の中身が、一新されたように感じました」 仕事でも、日本ブラインドサッカー協会など障害に関連する団体のブランディングを手掛けるようになる。世界選手権のポスター向けに作ったコピー「見えない。そんだけ。」は、社会的にも大きな反響があった。 大きな丸い「バブルボール」の中に入ってサッカーをする「バブルサッカー」が北欧にあることを知り、国内での協会立ち上げなどにも携わった。ただバブルサッカーすら「怖い」と言う人は多く、ならば自分で新しい競技を作ろうと考えるようになった。 澤田らは2015年、世界ゆるスポーツ協会を設立する。 (文中敬称略)(文・有馬知子) ※記事の続きはAERA 2024年12月16日号でご覧いただけます
有馬知子