ルールや社会を“ゆるめる”ことで生きやすい社会に 世界ゆるスポーツ協会代表理事・澤田智洋
海外で暮らしたことで、「ことば」に対する関心も高まった。2度目にフランスに住んだ時は、日本人がいない環境で、英語を話せるようになりたいという思いから、ほぼ全員がイギリス人の学校に進学した。「ぼっち」の寂しさを紛らわせるため、日本の本に没頭し、音読み訓読み、ひらがなカタカナと、さまざまな文字を生み出す日本語の「すごさ」を実感するようになる。他方、少しずつ英語で友だちと話せるようになると「ことばが伝わることの楽しさ」も知った。 日本の大学を卒業後、「言葉を扱う仕事がしたい」と大手広告会社に入社し、コピーライターとして働き始めた。当時、会社の同期だったミュージシャンの柴田隆浩(43)は、その頃の澤田を「まぶしかった」と振り返る。 「花形部署に配属され、『何でもそつなくこなす』のレベルが高い。陽キャでトークが回って賢くて、顔もかわいい。僕には、挫折知らずに見えました」 ただ澤田自身は、柴田の目に映っていたほど順風満帆ではなかった。たった1行で全てを語るようなコピーを生む「ひらめき」は、自分にはないと感じたからだ。「崖っぷちに立たされた」澤田は、年鑑で過去30年分のコピーすべてに目を通し、どんな言葉が刺さるか、そして刺さらないかを徹底的に考えた。そして言葉は「借り物」「置物」「生き物」の3種類に分かれることに気付いた。 「心に刺さるのは、一般論的でありきたりな『借り物』でも、頑張って考えたのは分かるけれど働きかける力のない『置物』でもなく、オリジナリティーに溢(あふ)れ、人に働きかけてくる『生き物』の言葉だった。正しい言葉も生き物の言葉にしなければ、人には興味を持ってもらえないのです」 世界ゆるスポーツ協会事務局長で、澤田とは10年来の付き合いの萩原拓也(41)は「澤田はコピーライターとして活動する中で『思考の泳力』を磨いたと思う」と話す。 「ゆるスポーツを考える時も、ただ面白いと思うだけでなくどうして面白いか、もっと面白くならないか、すごく深くまで潜って考える。かと思うと浅いところにも戻ってきて、広い範囲を泳ぐこともできる。そういう思考の泳力がずば抜けていると感じます」 コピーライターとしてのデビュー作は、紙面いっぱいに細かい文字が並ぶ電車の吊り広告で、1行のコピーとは真逆の作品だった。乗客の一人がじっとそれを読み、ニヤリと笑う姿を見て、人に伝わる言葉を作れる、という手ごたえを得たという。澤田はその後、テレビCMなどいくつもの広告を手掛け、賞も受賞した。 ただ一方で「自分のことばかり考えて社会的な課題に特段の関心もない。LGBTQの友人が社会に憤っている様子を見て、何となく引いてしまうことすらあった」とも振り返る。