フィリピン残留2世が日本国籍回復 父の親族を沖縄で発見…新証拠も後押しに
■国籍回復の高いハードル 「政府は一括救済を」
私たちは、2年にわたりサムエルさんら残留2世が国籍回復を願い続ける実態を現地取材し、ドキュメンタリー番組などで伝えてきた。この間、取材に応じてくれたサムエルさんを含め5人の残留2世が日本国籍を回復することができた。 一方で、現在も、フィリピンには日本にルーツを持つ"無国籍"者が400人近く残されている。日本国籍の回復を果たせずに亡くなった人もいる。証拠不十分として、申請を棄却された人もいた。日本国籍回復のハードルは依然として高いままだ。 支援を続けるNPO法人の代表は、「サムエルさんのケースは報道と親族の全面協力があり身元判明と国籍を勝ち取ることができた。残留2世は戦争のために家族離散、残留を余儀なくされた人たち。彼ら自身で証拠を集めるには限界がある。このままでは手遅れになる。あとは政治の力で国籍を認める一括救済など、一刻も早く救済措置を進めてほしい」と訴える。
■終わらぬ戦争の痛み 残された時間はわずか
私はこの日、サムエルさんの国籍回復を認める書類が裁判所から届いたという一報を受け、急いでNPO法人の事務所に駆け付けた。「就籍することを許可する」と書かれた書類には、「香村サムエル」の名が記されていた。フィリピンにいるサムエルさんとビデオ通話を繋いでもらった。 「今の気持ちはどうですか?」 「マサヤー!マサヤー!(嬉しい!嬉しい!)」 満面の笑みで答えるサムエルさんの姿を見て、こちらも自然と笑顔がこぼれた。画面の向こう側でサムエルさんが被っていたのは、沖縄の伝統工芸で作られた帽子。実はこのタイミングで、沖縄に住む親族がサムエルさんの住むフィリピンの島を訪れ、プレゼントしたものだった。 去年12月の出会いをきっかけに、サムエルさんは親族と連絡をとりあい、今回のフィリピン訪問が実現した。親族は、サムエルさんの案内のもと、父・勲さんが殺害された場所に向かい、沖縄から持参した線香やお菓子を供え、手を合わせたという。 サムエルさんと話したあと、沖縄から来た親族とも話をすることができた。「きょうは大宴会だ」と嬉しそうに教えてくれた。泡盛でお祝いをするのだろうか。サムエルさんもきっとフィリピン流の盛大なおもてなしを用意しているのだろう。 この“無国籍”問題の取材を続けていると、終わらぬ戦争の痛みが残されていることに気づかされる。 来年は戦後80年。残された時間はわずかだ。1人でも多くの残留2世が、サムエルさんのように日本との新しい絆を結び、満面の笑みを浮かべることができるように、取材を続けたい。
テレビ朝日