【虎番リポート】阪神OB・岡崎太一氏 「中身濃すぎた」独立L派遣1年目の監督生活 プロ輩出&優勝達成
阪神OBの岡崎太一氏(41)は今季、球団から派遣され、独立リーグ日本海・石川の監督を務めた。グラウンド内外で味わう初体験の連続に日々奮闘。裸の付き合いで「二大目標」を達成した挑戦の1年を聞いた。 カルチャーショックを受けた回数は数え切れない。「専用球場がないので」、他団体と同様に抽選で練習場を確保すること。「打撃投手は1日最低1時間」を続け、現役時代にできたことがないマメをつくったこと。選手は試合運営を手伝うことがあり、手作り弁当持参が普通なこと。能登半島地震のボランティア活動で復興途中の被災地を見たこと。日本海・石川の新米監督の岡崎氏にとって全てが新鮮だった。 「中身が濃すぎて…。指導経験がない僕を受け入れてくれた石川の端保(聡)社長に感謝したいです」 20年限りでタテジマを脱いだあと、阪神のプロスカウトを務めた。そこに届いた今回の独立リーグ監督の話が、念願の指導者の道を切り開いてくれた。 矢野燿大元監督の「まず聞く」という姿勢を大事にして20代前半が大半のチームに接し続けたところ、ナイター終わりの選手とのLINE交換が、深夜1時になることが増えた。裏方も対象にした監督賞を新設し、懇親会も開いた。懐は痛んだが裸の付き合いという財産ができた。結果、川崎俊哲が阪神の育成ドラフト4位で指名され、NPB輩出と優勝の2大目標を達成した。 「でも課題しかないです。声かけ一つ、指導の引き出しの数、継投のタイミング、全て勉強不足でした」 阪神は近年、近隣の独立リーグとの関係強化を進める。指導者育成の場を借りるだけでなく、地方の野球振興に貢献する狙いがある。岡崎監督はNPBの価値を体感した。普段は200~300人しか入らない観客が、阪神2軍との練習試合に3500人も入った。 「その中からミリオンスターズのファンが生まれるかもしれない。独立リーグだけの力でお客さんを増やすのは難しい。プロ(NPB)の力を借りることが必要」 25年も同職に就く。家族を大阪に置いた単身赴任生活に戻る。采配、技術指導、ファン開拓…やりたいことが頭に浮かぶ。「いつかタイガースの指導者になることが一番の目標」。武者修行の先にある目標を追って、挑戦の日々が再び始まる。(倉世古 洋平) ◇岡崎 太一(おかざき・たいち)1983年(昭58)6月20日生まれ、奈良県出身の41歳。智弁学園、松下電器を経て、04年ドラフト自由枠で阪神入団。12年目の16年に初の開幕スタメンマスク。翌17年にはプロ初の本塁打とサヨナラ打をマークした。通算成績は119試合で打率.185、2本塁打、11打点。24年阪神から派遣の形で日本海・石川の監督に就任し、同年リーグ優勝。右投げ右打ち。