明治時代の日本人なら全員知っていた…日本初の紙幣に描かれた人物「神功皇后」を日本人が忘れ去った理由
日本で初めての紙幣には神功皇后の肖像が描かれた。作家で歴史家の井沢元彦さんは「明治時代には神功皇后を知らない人はいなかったはずだが、いまの日本人には忘れられているだろう。これは日本の歴史教育に問題がある」という――。 【画像】浮世絵師・歌川国芳が描いた「神功皇后」 ※本稿は、井沢元彦『歴史・経済・文化の論点がわかる お金の日本史 完全版 和同開珎からバブル経済まで』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。 ■なぜ人は「ただの紙切れ」をお金と認めるのか 本位制度とは何かといえば、専門書にはたとえば「貨幣の一般的受領性を保証する仕組みのこと」だ、などと書いてある。 一般的受領性などというと難しそうだが、実は簡単で、たとえば千円札を持ってコンビニに買い物に行くと、店員は商品の代金としてそれを受け取る。「こんな紙切れでは商品と交換できない」とは決して言わない。つまりこの千円札(正式には日本銀行券)は少なくとも日本国内ならどこでも「お金」として通用する。このことを「この日本銀行券には一般的受領性がある」という。 このことは当たり前のようだが、すべての前提を白紙に戻して考えてみよう。 日本銀行券は単なる印刷物で原価は確か数十円だ。つまりそれを「モノ」として見るなら、これが金貨や銀貨のようなコインなら地金としての価値があるが、紙幣では「数十円の価値しかない紙切れ」に過ぎない。では、なぜ人はこれに「千円の価値」を認めるのか? 「政府が保証しているから」、その通り。しかし今と明治では保証の仕方が違った。
■「金本位制度」とは何か 欧米列強にも、日本の紙幣を相応の価値があるものと認めさせるためには、単純な保証ではなく実際にその紙幣の額面の金額に見合う貴金属と、いつでも交換する体制を整えておく必要がある。このような紙幣を兌換券(だかんけん)と呼ぶ。だから、紙幣を発行するためには、まず「兌換」の対象とする貴金属を何にするかを決めなければならない。それが金なら金本位制、銀なら銀本位制になる。 実は当初日本は銀本位制をとる方針だった。世界の貿易で決済に使われているのが銀貨であり、もう一つ、幕末にきちんと交換レートを決めておかなかったので、日本の金が大量に海外に流出してしまったからである。 金の見返りには銀が入ってきたので、ある程度の量を確保できることから、銀本位制でいくしかないと実行寸前まで行ったのだが、これに待ったをかけたのが海外視察中の伊藤博文であった。当時欧米列強では金本位制が評価されており、世界の趨勢(すうせい)はそちらの方向であったからだ。 価格の変動しやすい銀に比べて金の方が安定している。特にイギリスが金本位制を採用したのも大きかった。しかし実際は金保有量の少なさがネックとなって通貨制度はなかなか安定しなかった。 金もさらに流出した。日本人が商品の代金として外国人に紙幣つまり兌換券を渡した場合、外国人はそれをそのまま持ち帰ったりはせず金と交換する。中央銀行に行く必要もない、本位通貨として壱圓金貨が発行されているから、それと等価交換すれば一円分の金の現物が手に入る。それを国外に持ち出す、つまり流出するということになる。それゆえ一時的に金銀の複合本位制が施行されたこともあった。日本が完全に金本位制になったのは、1897年(明治30)、日清戦争に勝利して賠償金を獲得した時であった。 とにかく明治の初期、なんとか本位制が成立したので紙幣を作ることになったのだが、問題は紙幣の「顔」である。今度は「龍」でごまかすというわけにはいかないからだ。(参考 第2回参照) ■紙幣の最大の欠点は「偽造しやすい」こと 実は最初の紙幣の図柄も「龍」だった。しかし問題は、コインと違って精密な絵を印刷で大量生産する技術は日本にはなかったことだ。印刷機もない。そこでドイツの印刷会社にデザインを送り紙幣を印刷してもらうことにした。これを明治通宝(ゲルマン札)と呼ぶ。海を越えて送られてきたこの紙幣、1872年(明治5)にさっそく発行されたが、流通するにつれて不満が高まってきた。まずは偽造しやすいということがあった。 コインと同じく紙幣にも国王の肖像などを使うのが西欧社会では一般的だったが、その理由はまったく違っていた。コインはその人物の業績を顕彰し記念するために肖像を使う(参考 第2回参照)のだが、紙幣に肖像を使うのは第一に偽札防止のためであった。 紙幣の最大の欠点はもともと「印刷物」であり、地金のようにそれ自体に価値はまったくないということである。だから偽札造りが成功すれば犯罪者は濡手で粟の大儲けができる。何としてでも偽札を防止せねばならない。そのためにはどんなに記憶力の弱い人でも一見して「これは何の絵」だとはっきり認識でき、さらにその形状を簡単に記憶できるものがいい。