明治時代の日本人なら全員知っていた…日本初の紙幣に描かれた人物「神功皇后」を日本人が忘れ去った理由
■歴史とは政治経済文化の混合物 一昔前は、子供たちに神話を教えることは戦前の誤った歴史の教え方で、そんなものは教える必要がないと声高に主張する教育関係者がいた。いや、今もいるのかもしれない。こうした人たちは歴史教育とは何かがまったくわかっていない。 たとえば「江戸時代の武士階級は朱子学を基本教養としていた」という厳然たる事実がある。それを知ることによって初めて、朱子学が具体的に当時の政治や経済にどのような影響を与えたかがわかってくる。一つの例として、農業に基づく幕政改革は支持されたが、商業振興策は卑しいものとして軽蔑された。そして、それだけでも、渋沢栄一の為した意識改革の偉大さがわかる。 同じように日本最初の肖像紙幣の肖像に「なぜ神功皇后が選ばれたのか」がわからなければ、当時の歴史も政治も経済もわからなくなる。歴史とは政治経済文化の混合物だからだ。朱子学を道徳の中心に据える中国では決して民主主義は生まれない。人間には優れた人間と劣った人間がいて絶対に平等ではない、と朱子学の信者は考えるからだ。 だから科挙という「朱子学の試験」で合格した人間を社会の指導層にすればいい。これが「士」であとの「農工商」は、エリートである「士」の指導に従っていればいい、という考え方になる。絶対に一人一票あるいは四民(士農工商)平等ということにはならないのだ。 ところが日本では吉田松陰らが中心となってこの不平等を克服した。具体的には天皇を神に等しいところまで持ち上げ、それであるがゆえに天皇の下では貴族も武士も庶民も平等ということにした。本場中国の朱子学が絶対に成し遂げられなかった四民平等を実現し、これは大正デモクラシーへと続く日本民主主義の基盤となった。 ■過ちの歴史も教えないといけない しかし人間の作った制度や機構はどんなに優れたものでも必ず欠陥がある。 人間は神ではないから当然なのだが、この「一君万民主義」を構築するにあたって、日本人が天皇を絶対化した結果、その歴史でもあり神話でもある『古事記』『日本書紀』の記事もすべては事実である、疑ってはならない、ということになってしまった。 実際の歴史では日本は唐・新羅(しらぎ)の連合軍に白村江で惨敗を喫し半島の拠点をすべて失ったのだが、神話の神功皇后は皇后でありながら男勝りの豪傑で朝鮮半島の三国(百済(くだら)、高句麗、新羅)を攻めてすべて服従を誓わせたとされているのだ。もちろんこれは真実ではない。にもかかわらず、「天皇は神聖にして侵すべからず」と憲法で規定した大日本帝国では、この「白村江の敗戦」を語ることが禁じられ、子供には偽りの歴史が教えられた。 日露戦争でバルチック艦隊を撃滅する作戦を成功させた名参謀秋山真之中佐(当時)ですら、この「神功皇后の三韓征伐」を歴史的事実だと信じ込んでいた。彼が起草した「聯合(れんごう)艦隊解散の辞」にはこれが事実として語られている。東郷平八郎大将が読み上げた、この「解散の辞」は多くの海軍士官が耳にした。当然彼らは「朝鮮半島は古代から日本固有の領土だ」と思っただろう。こういう風潮の中でお札の肖像に神功皇后が選ばれたのだ。もちろん女性尊重という話ではない。こうしたことをきちんと教えるのが真実の歴史教育である。 ---------- 井沢 元彦(いざわ・もとひこ) 作家/歴史家 1954年、名古屋市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、TBSに入社。報道局在職中の80年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞。退社後、執筆活動に専念。独自の歴史観からテーマに斬り込む作品で多くのファンをつかむ。著書は『逆説の日本史』シリーズ(小学館)、『英傑の日本史』『動乱の日本史』シリーズ、『天皇の日本史』『絶対に民主化しない中国の歴史』(いずれもKADOKAWA)など多数。 ----------
作家/歴史家 井沢 元彦