北国で愛される手紡ぎの毛織物 戦後の女性を支えた「ホームスパン」 魅力は柔らかさと軽さ
「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。 【画像】「ホームスパン」の手法でつくった毛織物
半世紀以上過ごした木造家屋から
早朝、わき水「大慈清水(だいじしみず)」で自宅用の飲料水を汲んでいると、近隣住民からある噂を耳にした。 盛岡市名須川町で女性が主体となって毛織物を作っている「みちのくあかね会」がこの夏、近くの大慈寺町に引っ越してくるという。 事実だとすれば「地域の(小さな)大ニュース」。 さっそく、みちのくあかね会に電話をかけると、「実はそうなんです」と渡辺未央さん(49)が教えてくれた。 「半世紀以上も過ごした名須川町の木造家屋も名残惜しいのですが……」
宣教師が伝えた「ホームスパン」
みちのくあかね会は戦後、夫を失った女性たちが集まり、暮らしの糧を得るための授産施設として始まった。 運営や制作のすべてが女性によって担われている。 取り入れているのは、手染めした羊毛を紡ぎ、手織りで独特な風合いの毛織物に織り上げる「ホームスパン」という手法だ。 明治時代、綿羊飼育とともにイギリス人宣教師によって岩手に伝えられたとされるもので、「ホーム」は「家」、「スパン」は「スピン(回転する)の過去形」を意味し、家で紡いだ糸を使ってマフラーなどを手作りしている。
柔らかい糸、軽く暖かい織物
「ホームスパンは手紡ぎなので、柔らかい糸ができるんです」と渡辺さんは言う。 「手織りで仕上げるので空気が含まれ、軽く暖かい織物ができる。その柔らかさと軽さが北国盛岡で愛された理由だと思います」 半世紀近く使い続けた木造家屋は昭和初期の小学校の校舎のような年代もので、すきま風だけでなく雪まで吹き込んできそうな建物だった。 そんな木造家屋に名残を惜しむようにして、女性たちが無言で機織りの音を響かせている。 「歴史ある大慈寺町でまた新たな歴史の一歩を刻んでいきたい」 渡辺さんが祈るようにつぶやく。 屋外ではウグイスが鳴いている。 (2022年4月取材) <三浦英之:2000年に朝日新聞に入社後、宮城・南三陸駐在や福島・南相馬支局員として東日本大震災の取材を続ける。書籍『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で小学館ノンフィクション大賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞と新潮ドキュメント賞を受賞。withnewsの連載「帰れない村(https://withnews.jp/articles/series/90/1)」 では2021 LINEジャーナリズム賞を受賞した>