じつは日常会話には「なんちゃって」がたくみに入っていた…日常会話に潜む「編集術」
考える力をみるみる引き出す実践レッスンとは? 自分で「知」を生み出すにはどうすれば良いのか、いいかえ要約法、箇条書き構成、らしさのショーアップなど情報の達人が明かす知の実用決定版『知の編集術』から、本記事では〈小指を一本立てる「しぐさ」や、「すみません」を連発する日本人の「くせ」に潜んでいるものとは…? 〉にひきつづき、会話の中にあらわれる編集術についてくわしくみていきます。 【写真】「他人のふんどしで相撲をとる」、外国人に伝わるようにするならどう訳す? ※本記事は2000年に上梓された松岡正剛『知の編集術 発想・思考を生み出す技法』から抜粋・編集したものです。
会話の中にあらわれている編集術
さて、第三の特徴にあげておいたのは「編集は日々の会話のように『相互共振』する」ということだ。相互共振というのは、編集という動向は単独で律しているのではなく、つねに何かと呼応したり、交信しているということをあらわしている。 「日々の会話のように」というのは、まさに会話の中には編集術が躍動しているという意味だ。その会話のことをちょっと考えてみよう。 われわれは、毎日毎晩、会話をしている。他人の会話を聞いているときもある。テレビのワイドショーにこれだけ視聴者がついているということは、人間は他人の会話を盗み聞くのがいかに好きかという証拠でもある。ともかくなんであれ、われわれは日々の会話環境によって膨大な時間をつかっている。一説には人生のほぼ半分は会話で占められているらしい。 もともと各民族の言語には「発話のための言葉」と「記述のための言葉」があった。 フランス言語学ではこれをパロールとラングという。おおむねは口語体と文語体にあたる。この区別はけっこう古くからあって、古代インドでも早くから口語のプラクリットと文語のサンスクリットに分かれていた。 日常のためのインフォーマルな言葉と法律などを決めるためのフォーマルな言葉という分けかたである。暮らしの言葉と決めごとの言葉のちがいだとおもってもよいだろう。日本でもながいあいだ、フォーマルなときは漢文を、カジュアルなときは和文をつかってきたものだった。会話はこのインフォーマルでカジュアルな言語として発達していった。 日常会話はべつだん雄弁である必要はない。編集術としても、なにげない会話が題材としておもしろい。たとえば、こんな会話があるとする。 「ねえ、おなかすかない?」 「うん。何かある?」 「近く?」 「クルマ」 「ううん。どこかに食べに行く?」 「和食? イタ飯? ああ、この前オープンしたラーメン屋」 「オーケー。外、ちょい寒だよ」 おなかがへったので何かを食べに行こうか、という会話だ。誰もが一度や二度は体験しているごくふつうの会話だし、言葉もやさしい。けれども、たったこれだけの二人の会話にもかなりの情報が急速に選択されている。 まさに編集とはこういうことなのだ。情報を相互的に共振させながら内容を好きな方向に進めていくこと、ここが編集の核心であり、編集の第三の入口なのである。 もちろん、この程度の会話ではいちいち言葉は選ばれているはずがない。言葉は無意識のようにスラスラと出る。それでも、そこには立派な編集が生きている。なぜ、そんなことができるのか。生きた状況の中の会話であるからなのだ。 仮に、同じ内容を一人でつぶやいてみようとすると、これはまったくうまくない。どうしてもできるようになりたければ、“なんちゃっておじさん”になる以外はない。つまり一人でつぶやいても恰好がつかないので、一区切りついたところで、「なんちゃって」と入れるのだ。 実は日常会話には、もともとこの「なんちゃって」がたくみに入っている。 そして「なんちゃって」に代わる多種多様な言葉の言いまわしというものが、会話の構造を決定づけている。 これは実験してみるとすぐわかる。私の所属している編集工学研究所ではよくそういう ことをするのだが、所員があれこれ雑談をしているところをビデオに撮って、これを本人をふくめて再生をしながら、「えー」「あのー」「まあ」「それでね」「だよね」など、話しっぷりの「くせ」を見る。ついで、その「くせ」を封じて本人が同じ内容をしゃべろうとしてみると、これがなぜか、まったくうまくいかないのである。 それゆえ、そこには情報編集の基本的な方法がいくつもいかされていて、私のような者には参考になることが多い。 ちなみに、コンピュータのプログラムでアルゴリズムとよばれているのは、この「なん ちゃって」を何回、どのように入れるのかという計算構造をつくることをいう。 * 連載記事〈「他人のふんどしで相撲をとる」、外国人に伝わるようにするならどう訳す? …「編集という方法」に求められる大事なこと〉では、雑誌や書籍の編集だけではない、「編集」についてくわしくみています。
松岡 正剛