【海外トピックス】フォルクスワーゲン、ドイツ工場閉鎖を検討のインパクト
VWの特殊な経営統治システム
2024年9月2日、フォルクスワーゲン(以下VW)は、厳しい経営環境の下でのコスト削減の進捗が不十分なため、競争力が低下しているドイツの生産工場の閉鎖を検討し、1994年以来維持している6つの主力工場での2029年までの雇用保証も破棄する旨を発表しました。もしそうなれば、欧州最大の自動車メーカーであるVWの87年の歴史において初めてのドイツ国内工場閉鎖となり、このニュースは瞬く間に全欧州を駆け巡りました。4日には本社ヴォルフスブルグで従業員に向けて説明集会が行われましたが、これには2万5000人ものワーカーが詰めかけて巨大なデモの様相さえ呈し、VWのグループワークスカウンシル(労使協議会)初の女性委員長のダニエラ・カヴァッロ氏も徹底抗戦を表明しています。大きな賭けに出たともいえるVWですが、この闘争は厳しいものになりそうです。 【写真】VWドイツ工場閉鎖の関連画像を見る 元々、ナチス政権の下で1500マルクで大衆が購入できる「国民車」を製造する目的で設立されたのがフォルクスワーゲンですが、戦後に定められたVW法によって、経営陣を助言し監督する監査役会(supervisory board)のメンバー20人の内半数を従業員・労組代表が占め、地元のニーダーザクセン州が議決権株の20%を保持して重要な案件での拒否権を持つという特殊な構造になっています。このため、VWでは労使協議会の合意なしには雇用に影響を及ぼすような決定は不可能とされており、過去にも同協議会とギクシャクして短命に終わった経営者もいます。 「VWタイプ1(ビートル)」の生産でドイツ復興に貢献し、世界的なピープルズカーとして定着させた2代目経営者のハインリヒ・ノルトホフや、1970年代にゴルフやパサートなどを導入してVWのピンチを救ったルドルフ・ライディング、海外市場展開やシュコダやセアトの吸収でVWグループの礎を気づいたカール・ハーンといった歴代の経営者はもとより、1993年にVW社長に就いてベントレーやランボルギーニを買収して11ブランドからなる一大自動車コングロマリットに発展させたフェルディナンド・ピエヒも、労使協議会との協調はVWの経営に欠かせないとして特別な配慮をしてきました。1990年代前半の欧州の不況時には、週4日28時間のワークシェアリングを導入してレイオフを回避し、その施策を後見したニーダーザクセン州の同時のシュレーダー首相は、その後ドイツ社会民主党(SDP)を率いてドイツ連邦政府の首相を務めました。 他のドイツの企業にも監査役会は存在し従業員の代表は席を占めますが、VWほどの権限は持っておらず、ピエヒの後、メルセデス・ベンツやBMWから転じてVWの経営者となったヴォルフガング・ベルンハルトやヘルベルト・ディースは、折に触れ労使協議会との対立が報じられました。