“建築大革命前夜”産業技術とモダニズムの時代-日本工業倶楽部会館と團琢磨
時代の転換期には、そのときの思想や新しい技術をまとった建築物が登場します。建築家であり、多数の建築と文学に関する著書でも知られる名古屋工業大学名誉教授、若山滋さんが、大正9年竣工「日本工業倶楽部会館」の歴史を掘り起こします。 ----------
華やかな東京駅の陰に隠れて目立たないが、丸の内北口のそばに、茶色いレンガタイルの古い建築が、高層オフィスビルに抱かれるように建っている。 「日本工業倶楽部会館」である。 これは東京駅や司法省(法務省旧本館)や三菱一号館など「赤煉瓦の洋風建築」とは一線を画するもので「モダン・アーキテクチャー」の部類に入る。日本では明治以後の建築をすべて近代建築と称しているが、国際的に、モダン・アーキテクチャー(近代建築)とは、過去の様式を離れた新しい概念(思想)に沿ってつくられたものをいう。
大正9年に建設され、平成15年に高層建築に建て替えられる際、建築学会などの要請によって、正面の低層部が保存再生された。 設計者は横河工務所(現在の横河建築設計事務所)であるが、所長の横河民輔は、設計実務をスタッフに任せるところがあり、実際の設計者は松井貴太郎であるといった方がいいようだ。 横河は、鉄骨構造の普及に尽力し、東京帝国大学でも講義し、工学博士でもあった。単なる建築家というより幅の広い技術者として、財界からも経営手腕を評価され、横河橋梁(現在の横河ブリッジ)、横河電機などを創業している。 アメリカの影響を受けた設計者として知られるが、この日本工業倶楽部会館は、「ゼツェッシオン様式」とされる日本では数少ない建築である。少し前のアール・ヌーボーや、少し後のアール・デコに比べて、日本人には聞き慣れない言葉だが、どちらかといえば室内装飾や工芸デザインの分野に広がったヌーボーや、デコに対して、本格的な建築の近代は、このゼツェッシオンから始まったともいえるのだ。 意匠としては、ちょうどその中間で、植物模様や人体像などの装飾と幾何学的な造形が一体となって、柔らかなロマンが感じられる。建築に敏感であった夏目漱石の作品にも登場し、彼は英語読みで「セゼッション」と記している。ドイツ語圏に広がった運動であるが、特にウィーンのそれが有名で、画家のグスタフ・クリムトが中心人物であった。