「オオタニと差が開いてしまった…」「まさか落球」ヤンキースの英雄から“戦犯”に「死ぬまで忘れない」アーロン・ジャッジが負った深すぎる傷
じつは2022年プレーオフでも敗因に…
ジャッジがプレーオフで苦しむのはこれが初めてではない。前述通り、記録的なシーズンを過ごした2022年もプレーオフでは低迷し、9試合で打率.139(36打数5安打)、2本塁打15三振。特にアストロズとのリーグ優勝決定シリーズでは16打数1安打と冴えず、その時も敗因になったのは記憶に新しい。 2020年以降、31試合のプレーオフ戦で打率.160。この成績はもはや“スモールサンプル”とは言い切れず、ここでジャッジの歴史的評価に大きな打撃がもたらされたのは事実なのだろう。 もちろんこれでジャッジのキャリアが終わったわけではない。メジャー最大級の名門ヤンキースの一員である限り、ポストシーズンで戦うチャンスはまた遠からぬうちに訪れる。プレーオフの歴史を紐解くと、当初は苦しんでも、次第に活躍の術を見つけるようになった“贖罪のストーリー”はニューヨークにも数多く存在する。 ティノ・マルティネスは最初の数度のプレーオフでは打てなかったが、ヤンキースでのキャリア後半は開眼し、1998~2001年に4年連続ワールドシリーズに進出する立役者となった。A・ロッドことアレックス・ロドリゲスは一時、勝負弱さの代名詞のように目されたが、チームに27度目の世界一をもたらした2009年のプレーオフでは6本塁打で汚名返上に成功した。そんな贖罪リストの中に、同じく2009年の世界一の立役者となった松井秀喜氏も含まれるのだろう。
「2009年よりも…」松井秀喜の言葉
クラッチヒッターの印象が強い松井氏だが、実は2005~07年のプレーオフでは合計47打数10 安打(打率.213)、1本塁打と低調だった。そんな“ゴジラ”がついに爆発し、ワールドシリーズMVPを獲得したのがヤンキースとの契約最終年だった2009年だった。今秋、そういった自身のポストシーズンの軌跡を振り返った際の松井氏の言葉は実感がこもって響いてきた。 「結局、(プレーオフは)勝った負けたの印象になるんですよ。ずっと負けていたんで、特に自分が打てなくて負けたっていうのはすごく今でも印象に残っています。皆さん、よく2009年の(優勝を)ことを言って下さいますけれど、自分が打てずに負けた試合の方が未だに残っています。そういうものです」 2024年の戦いが終わり、もともと責任感の強いジャッジは今頃、真綿で首を締め付けられるように辛い時間を過ごしているのだろう。せっかちな大都会の中で、大舞台で結果が出せなかった主砲の責任を問う厳しい声ももちろん飛び交っている。現役No.1プレイヤーについて語る際、大谷との差も開いたのかもしれない。 ただ……繰り返すが、これで扉は閉じたわけではない。必要以上に過激になりがちな一部を除き、依然として多くのファン、関係者は球界最高級の人格者でもあるジャッジが秋にも大爆発し、頂点に立つことを心底から熱望している。 「私のキャリアが終わるまでには多くの傷を負うだろうけれど、その時にはできれば勝利も手にしていたい」 傷心の中でも最後まで丁寧に地元メディアの質問に答え、ジャッジの2024年は終わった。ニューヨークの秋は短く、これから長い冬が待ち受けている。A・ロッドや松井氏と同じように、現代のスーパースターのヤンキースキャリアにもいつか歓喜のハイライトが待ち受けているのかどうか。その答えが出るまで、さらに1年、あるいはそれ以上の長い間、ニューヨーカーはまた静かに待たなければならない。
(「メジャーリーグPRESS」杉浦大介 = 文)
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