能登半島地震、津波は短時間で到達 東日本大震災の教訓は生かされたのか?
能登半島で発生した断層と津波の発生方向(水色矢印) 今村文彦教授提供の資料を基にnippon.com編集部作成
津波シミュレーションによる再現 今村文彦教授提供の資料を基にnippon.com編集部作成
加えて、長い時間にわたって津波の継続が見られた。今回も注意報が解除されたのは18時間後である。日本海は、ロシアや朝鮮半島にも囲まれた閉鎖海域であり、一旦津波が発生するとこのエリアで寄せたり、引いたりを繰り返し、なかなか減衰しなかった。実際、各地での験潮記録によると、約24時間の海面の変動があった。また、日本列島側の浅瀬海域が続くために、ここでも津波が寄せたり、弾いたりが繰り返され、複雑な挙動になる。それらが組み合わさると後続の津波が大きくなる場合もある。津波は能登半島を中心に繰り返し押し寄せ、長時間、影響を与えていたと言える。
津波による被害状況
国土交通省によると、震源に近かった石川県珠洲市、能登町、志賀町では、津波で浸水した面積が少なくとも計190ヘクタールになった。また、土木学会海岸工学委員会などの調査によると、志賀町の赤崎・鹿頭地区では5.1メートルの高さまで津波が押し寄せていたという。珠洲市沿岸(宝立地区)では海岸線にはえぐられたような痕跡があり、津波が侵食したことが分かる。強いパワーがある津波が海岸に押し寄せた証拠だという。さらに、船や車を持ち上げ、弱い建物を壊し、瓦礫(がれき)を押し流した。流れが強力であった証拠の1つが破壊されたアスファルトであり、強い流れで剥ぎ取られ道路も壊れている状況があった。 強度の弱い建物は壊されているが、多くの建物は残っている。東日本大震災では、海から陸に乗り上げた強い流れがずっと続き、建物を根こそぎ破壊した。今回は長周期の波ではなく比較的短い周期の波だったため、海岸に波しぶきのようにパーンと打ち寄せ、砂浜を浸食したが、そこでパワーが一定程度そがれて、街の方に入っていった可能性があるという。 現地調査をしなければ確実なことは分からないが、航空写真で被害建物を見ると、1階は浸水しているようだ。地盤が海抜2~3メートルの場所なので、津波の高さは4メートルを超えていたのではないか。海岸線から内陸へ数百メートルにわたって浸水したが、その浸水域の広がりは実はもっと大きかった可能性があり、地殻変動のために抑えられたと考えられる。国土地理院の暫定的な解析では、石川県の珠洲市は隆起していたとみられるからである。逆に沈降していたら、もっと浸水範囲が広がっていただろう。輪島市は珠洲市よりかなり隆起したために、津波の影響があまりなかったのではないかと推定している。