能登半島地震、津波は短時間で到達 東日本大震災の教訓は生かされたのか?
能登半島周辺で何が起きていたのか? ―複合災害の姿
強震動(震度7)と同時に、断層の周辺では地盤が隆起と沈降し地殻変動、沿岸の平地では液状化、山間部では土砂崩れが生じた(写真1)、そのために建物の倒壊(写真2)に加えて火災、山間部で河道閉塞、その結果、電気、水道などのライフライン被害、道路、橋、港などのインフラ被害が生じてしまった。
写真1 河原田川沿いでの土砂崩れと河道閉塞箇所=石川県輪島市熊野町(筆者撮影)
写真2 被災した石川県輪島市河井町の市街地(筆者撮影)
数分後には、津波が発生し能登半島および周辺に、あっと言う間に津波が押し寄せてきた(写真3)。これがいわゆる、地震による複合災害になった。特に、大津波警報が発表されている間には、高台や避難場所への緊急避難が優先であり、火災の初期消火や倒壊家屋からの救助などは難しい状況であった。これが連鎖していく複合災害の恐ろしさになる。建物の耐震化や防火装置の設置など事前の対応がいかに重要かを改めて認識したい。
写真3 石川県珠洲市宝立地区での状況(筆者撮影)
被害の大きかった半島の先端部の平地が少ない地域で、中山間地の集落につながる道路やライフラインが寸断され、集落の孤立が多く発生した。そのため緊急復旧や今後の本復旧・復興のメインルートとなるべき幹線道路に大きな被害が発生し、被災地の支援の初動対応が取りづらい状況が発生した。
日本海側での津波の特徴 早い到達と長時間の継続
プレート同士のひずみで起こった東日本大震災のような「プレート境界型地震」に対し、内陸で起きる「直下型地震」は日本列島が乗っているプレートの内部で起きる。被害範囲は限定される一方、断層の位置によっては津波の到達時間がかなり早く、揺れは局所的に強くなるという特徴がある(図参照)。
地震の発生場所 今村文彦教授提供の資料を基にnippon.com編集部作成
日本海側ではこれまで大きな津波の発生が少ないイメージもあるようだが、実際は違う。1993年の北海道南西沖地震(M7.8)では、震源に近い北海道・奥尻島に地震発生から数分後に津波が到達。高さは最大で29メートルにもなり、200人以上の死者を出した。1983年に起きた日本海中部地震(M7.7)では、青森県と秋田県の沿岸部に地震から8~9分後には津波が襲来。最大で14メートルの津波にもなり、100人以上の死者を出している。大津波警報が過去6回発表されたが、今回も含めて日本海での発表が3回にも及んでいることはあまり知られていない。 実は、能登半島周辺でも、半島の北から北東の海底に断層があることが知られていた。今回はこの断層も含めて長さ150キロにわたって陸側に動いたと見られている。さらに、沿岸に近い海底が隆起したり沈降したりして発生した津波が、すぐに到達したという。 東日本大震災では、日本列島が載っている陸側の北米プレートとその下に潜り込むように動いている海側の太平洋プレートの境界付近で発生したタイプであり震源は陸地からも遠く、津波が沿岸部に到着するまでに一定の時間猶予があった。想定されている南海トラフ巨大地震も、この「プレート境界型」になる。しかし、日本海側での地震は、陸地や陸地に近い海底の活断層で起こることが多く、震源も比較的浅いため、津波が起きればすぐに沿岸部に到達することになる。実際に、珠洲市、輪島市、能登町、七尾市などでは、1~2分以内に津波の初動が到達したと数値シミュレーションで推定された。当時、津波警報等が発表されたのが2~3分後であったので、すでに津波の初動が沿岸域に到達したことになる。