古代ローマは「人間」が面白い! 歴史学者がそこに着目してこなかった理由とは。
ローマ史の面白さは「人物」にある!
――ところで、ローマ史には個性的な人物がたくさん登場しますね。でも、教科書や歴史学の本では、そうした「人物の個性」があまり取り上げられなかったように思います。 本村:政治家や皇帝、軍人などの人物のパーソナリティは、特に唯物史観の影響が強かった歴史学のなかでは、あまり着目していませんでした。全体としての社会と、そのシステムや変質を見ていくのが歴史学だっていうことになっていたからでしょう。 僕も研究を始めた最初は、あんまり人物には興味はなかったのですが、やっぱり、個人というのが歴史に影響を与えているんじゃないのか、人物を見ていかなきゃいけないんじゃないかという思いが、年を重ねるごとに出てきました。戦後の歴史学の主張で、名もない庶民こそが歴史の主役なんだというのは確かにそうなんだけど、リーダーの個性というのも見なければ、歴史は見えてこないんじゃないか、という。 たとえば、ローマ皇帝のドミティアヌスとかネロとか、暴君ということで片づけられているけれども、仔細に見ると庶民の見方は違ったりとか、本人も特に最初のころは庶民のために働こうとしているのが見えてくる――実際にはそうならないんですけどね。 戦後は、高校の世界史の授業でも、歴史というのはシステムを見ていくもので、あまり個人というのは見てなかった。それは小説家の仕事とされてきたんですね。 でも、古代社会というのは、現代のように法律や官僚制が整備されているわけじゃないから、個人の判断やパーソナリティに左右されるところは大きいのです。法は法としてあるし、組織は組織としてあるんだけども、それをどう解釈し、動かすかっていうのは、そこにいる人物のウエイトが近代よりも大きい。 現代の日本だって、政治学者の御厨貴さんと対談しておもしろかったのは、彼はオーラルヒストリーに取り組んでいるから、記録として残されていない、その場にいた政治家本人しか語れない部分が実は非常に大きいことを知っている。 古代では、その部分がもっと大きいんじゃないかと思いますね。ある人物の性格や能力だけでなく、成育史や家族関係など、あらゆることが「歴史的な判断」を左右しうるのではないかと思います。それになにより、人物を描いた方が歴史は面白いはずですし。 ※インタビュー後編〈古代ローマ「唯一最大の発明」とは? ユダヤ人に匹敵「特異な民」の強さの秘密。〉では、「シリーズ後半の読みどころ」を著者自ら語ります。
本村 凌二(東京大学名誉教授・歴史家)