自転車声優・野島裕史も納得!孫崎虹奈が語るトライアスロンの魅力「ポジティブになれる要素が多い」「完走したもの皆が勝者」
◆トライアスロン漬けの学生時代
野島:ここで改めてまごちゃんのプロフィールを紹介させていただきます。大阪府出身、神奈川県在住で、幼稚園から水泳を始め、小学5年生でトライアスロン開始。早いですね。 日本体育大学在学中には選手活動と並行して、トライアスロンコーチをスタート。大学卒業後は会社員として働きながらコーチ業を続ける一方、2019年に「Ironman Taiwan」に初出場し、見事女子総合優勝を果たします。 現在はトライアスロンコーチとして独立し、オンラインメニューの提供やパーソナル・グループレッスンなど、お子さんから80代の方まで幅広くコーチングをおこなっています。そもそもトライアスロンを始めるのって、年齢的には20代後半くらいの印象があるのですが、まごちゃんは小学5年生ですか。 孫崎:2014年のロンドンオリンピックで、ちょうど夕方の時間帯にトライアスロン競技が中継されていて、そこから小学生・中学生・高校生の(トライアスロン)人口が増えたんですよね。私が始めた頃、2005年頃はまだ小学校では「トライアスロンとはなんぞや?」みたいな感じでした。 野島:そんななか、どういうきっかけでトライアスロンを始められたんですか? 孫崎:父がもともとトライアスロンをやっていて。私が水泳を始めた頃にはもうやっていなかったんですが、家中にトライアスロンをやっていた頃の写真やメダルなどが飾ってあったのと、父の影響で自転車競技を少しやっていました。 野島:スポーツ一家だったんですね。 孫崎:そうですね。あとは、水泳ってタイムの競技なんですよ。0.1秒の差で全国大会に出られないとか。それが嫌だなって思ったタイミングでトライアスロンと出会って、ちょっとやってみようかなと。よく「父にやらされたんじゃないか」って言われるんですけど、最終的には自分の意志で決めましたし、それに弟もついてきました。 野島:その後、中学・高校・大学はトライアスロン漬けの日々を送っていたんですか? 孫崎:そうです。中学生時代は競泳の練習に毎日通いながら、学校の陸上部に入って、土日は実業団の自転車競技にも参加してという感じでした。 ただ、中学2年生くらいでグレることってあるじゃないですか。なので、1年くらいあまり練習しない時期があったんですけど、進路を決めるタイミングで「私に何ができるかな?」って思ったら、自分が今までやってきたこと=トライアスロンしかないと思って。 野島:そこで更生するんですね。 孫崎:と思いきや、勉強が嫌いなので通信制高校に入って、一般的な高校生活は送らずにトライアスロンのチームに入りました。 野島:トライアスロン1本になったわけですね。トレーニングが嫌になったことはなかったんですか? 孫崎:あまりなかったと思います。今も楽しいですし。ただ、友達と遊べないのは嫌でしたね。社会人でトライアスロンをやられている方もそうだと思いますが、トライアスロンは(トレーニングの)時間を捻出するのが難しいんですよね。だから、中学・高校と友達と会う時間がなかったのは残念な思い出として残っています。 野島:大学時代はどうだったんですか? 孫崎:日本体育大学のトライアスロン部って強豪校として名が知られていたんですが、私は“IRONMAN(アイアンマン)”っていうロングのレース(スイム:3.8km、バイク:180km、ラン:42.195km)や「宮古島トライアスロン」「佐渡国際トライアスロン」といったロングのコースに出たかったんです。 でも、大学生は“オリンピック・ディスタンス”って言われている距離51.5㎞(スイム:1.5km、バイク:40km、ラン:10km)の大会に出場して、そこで勝ち抜いた人がインカレや日本選手権といった大きな大会に出られるんですね。 ロングの大会に出てしまうと体が壊れてしまうので、監督からは「お前は(ロングには)出るな」と言われていて、その代わりに日本選手権や国体などに注力して頑張っていた4年間でした。 野島:そんななか、コーチ業を始めた理由はなんだったんですか? 孫崎:高校生のときに入っていたチームが小学生にトライアスロンを教える活動をしていて、それがすごく素敵な活動だなと思って。「こういったトライアスロンもあるんだな」って知って、大学はコーチングの専攻で入学したんです。 それで、コーチングを学んでいくなかで、やっぱり実践しないと活きないと思い、大学も3年生くらいから授業数が減って時間ができてくるので、その時間を活用してコーチ業を始めました。 野島:やっぱり誰かに教えることでフィードバックはあったりしますか? 孫崎:それは確実にありますね。