外国勢力が突如襲撃!「道長の甥」の藤原隆家はどう戦ったか。九州で「刀伊の入寇」が起きる
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は刀伊の入寇の際の、道長の甥・藤原隆家のエピソードを紹介します。 著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 【写真で見る】刀伊の入寇で防衛拠点の1つとなった水城 ■刀伊の入寇が起きる 藤原道長の甥・隆家は、大宰大弐(実質は大宰権帥)に任命され、九州に下向することになりました。隆家の大宰大弐在任時、1019年に起きたのが、刀伊(とい)の入寇です。
刀伊とは、沿海州地方などに住む女真族のことです。刀伊が対馬・壱岐・北九州を襲撃したのが、刀伊の入寇と呼ばれる事件です。 そもそも、隆家が九州に下ることになったのは、自身の病が原因だとされます。隆家は、眼病に悩まされていたのです(『大鏡』や『栄花物語』に記載されています)。治療の効果がなく、隆家は家に籠もる日々が続いていました。藤原道長も、隆家とは碁や双六を頻繁に行う間柄だったため、病を気の毒に思っていたようです。
そのようなときに、大宰大弐から朝廷に辞表が提出されました。「私が次の大宰大弐になりたい」という声が続々と寄せられる中で、隆家も手を挙げました。 「あちらには唐人が多い。唐人は、目の治療がうまいと聞く。あちらで、目の治療を行い、癒やされてはどうだろうか」というアドバイスがあったからです。 隆家は大宰大弐の職に就きたいという希望を、主上(三条天皇)や中宮にも奏上。天皇も隆家を気の毒に思い、また道長も「本人が強く望んでいるようなので」ということで、大宰大弐には隆家が任命されます(『栄花物語』)。
しかし、実際は、道長が隆家の大宰大弐就任を妨害していたようです。隆家とも親交があった藤原実資の日記『小右記』にそのことが記されています。 道長は、隆家と同じように目を患う三条天皇が、隆家に同情することを気に食わないと思ったのでしょうか。また、隆家が九州に下向した場合、隆家と九州の在地勢力が結び付くことに嫌悪感を示し、それを阻止しようとしたのでしょうか。 結局道長の意向は退けられ、隆家は九州に赴任します(決定は1014年11月7日)。『大鏡』によると、隆家は大宰府において善政を施したようです。九州の人々も隆家の政治を大いに喜んだとのことでした。