女優ルー・ドゥ・ラージュ、絶望と再生を寄り添わせた名演『夜明けの祈り』
演じるにあたり、ルー・ドゥ・ラージュが取り組んだのは医学的な知識と、その治療方法を取得することだった。 「戦時中のポーランドをめぐる、ドイツ、ソ連の状況については、フランスでは歴史の授業でその事実関係をきちんと学ぶので、特に新たな知識を得る必要はありませんでした。まず、外科的なことや産科医としてお腹を触診することなどを学びました。帝王切開の仕方や、縫合も医師に習い、練習をしました。恐らく当時、女医が戦場に行くのは大変だったのだろうと思います。ただ、この映画に関して言えば、“女性がこの戦争中に医者としてこんなところに行った”ということがテーマではないし、マチルドも女だからできないことがあるとは一切感じてなかったでしょう。“女医だから”と感じさせないように演じるよう、心がけました。修道女役のポーランドの女優たちとリハーサルを重ねているうちに、その思いはさらに強くなりました」
修道女たちは“信仰”を、医師マチルドは“信念”を武器に光を求めた
ドイツの占領下にあったポーランドが、ソ連の“解放軍”により、首都ワルシャワを奪還した年の話。ソ連軍兵士による暴行が元凶となって物語は始まる。実際に第2次大戦の末期に起きた悲劇だが、今でも“蛮行”はなくならない。映画では、同じ女性でもマチルドには医学という分かりやすい武器がある。一方、妊娠し、どんどんお腹の中で成長していく子どもを抱え、修道女たちはそのつらい戦いになにを“武器”に挑んだのだろう? 信仰? ルー・ドゥ・ラージュはどう解釈したのか? 「まず今もなくならない戦場での性的暴力についてひと言。戦争において、女性を犯すことは一種の攻撃とすら言われています。それが当たり前のように語られる状況は、本当に憂慮すべきこと。怒りを感じます。ただ、この映画は“そこからどう再生するか”、“どう希望を見出して復活していくのか”を描いたもの。マチルドには修道女のような“信仰”はありませんが、“信念”は持っていた。それは命に対しての信念で、人生、そして人間を信じていたんだと思います。“信仰”も“信念”も、“生”の肯定であるのは同じ。手段が異なるだけ。修道女とは違うやり方でマチルドも“生命”について考えていた。ただマチルドも非常に弱いところがある。私は演じるとき、あまり弱さを見せないようにと(アンヌ・)フォンテーヌ監督に言われました。常に冷静でいなさいと。涙を流すときも泣き崩れてはいけないと。すでに戦場を経験しているマチルドは、人間の残酷さを嫌というほど見ているわけです。彼女にとってはこれまでの体験の延長線上にあるものだったかもしれません」