「女には無理だ、帰りなさい」諦めずに女性初の落語家になった露の都、苦労した家庭との両立
日本女性として初めて、さまざまな道を切り開いた人物をクローズアップする不定期連載。第4回は300年以上男性しかいなかった落語界に飛び込み、修業に勤しみながら6人の子どもを育て上げた露の都さんの波瀾万丈な人生について聞いた。 【写真】1974年、入門してすぐの初めての宣材写真
「女には無理だ、帰りなさい」
「女性の落語家っているのかなって調べたら、いなかったんですよね。いないなら、私がやろうと思ったんです」 そう話すのは、落語家の露の都さん(68)。日本女性で初めて落語家になり、今年で芸歴50年を迎える。 高校時代にテレビで見た笑福亭仁鶴さんがこの道に入るきっかけに。卒業後の進路に悩んでいたときだった。 「落語ってこんなに人を笑わせるものなんだ、私もああなりたいって思って。でもどうやったら落語家になれるのかなんて、わからないじゃないですか」 テレビの素人名人会に出場し、見事、本選出場を果たす。審査員を務めていたのが、後に師匠となる二代目露の五郎兵衛さんだった。 「露の五郎兵衛のことは知らなかったけど、だからといって落語家は他に知らないし、じゃぁこのおっちゃんにしとこうと(笑)」 番組終了後、その足で「弟子にしてくれ」と押しかけた。とはいえ落語は300年以上にわたり男性が演じてきた伝統芸能で、女性落語家など前例がない。 「女には無理だ、帰りなさいと言われました。でも私の中では落語家になるって決めてたから、どんなに断られても何ともなかったよね」 家計を助けるため、高校の授業料をアルバイトで稼いでいた露の都さん。平日は授業が終わるとバイト先へ直行し、週末がくると露の五郎兵衛さんのもとへ通っては、楽屋の隅で裏方の仕事を目で覚えていった。 「あるとき“おまえ、着物畳めるか?”って師匠に言われて。やったことはなかったけれど、ずっと見てたから、ぱぱっと畳めたんです」
目はしのききと粘り強さは人一倍。弟子志願者は他にもいたが、露の都さんの弟子入りが決定する。 「師匠が本屋さんに連れていってくれて、落語事典を買ってくださったんです。もうボロボロになってしまったけれど、今も私の宝物です」