「女には無理だ、帰りなさい」諦めずに女性初の落語家になった露の都、苦労した家庭との両立
「女がしゃべるなんて気持ち悪い」
高校の卒業式が終わると、荷物をまとめて師匠の家へ内弟子として入った。1974年3月3日、日本初の女性落語家の誕生である。 内弟子生活は3年間。師匠の自宅に住み込み、師匠の身のまわりの世話はもちろん、家族の食事に洗濯、掃除と家事のすべてをこなす。稽古は口伝で、厳しく仕込まれた。 「大変でしたね。次から次へとやることがあって、ボケッとしてたらすぐ怒られる。師匠に仕込んでいただいたので、私も自分の弟子はしっかり厳しくしつけます。よく“都さんのお弟子さんはきっちりしてる”と言われるけれど、それは師匠のおかげだと思います」 晴れて高座に上がっても、風当たりは強かった。落語家たちには「女のくせに」と煙たがられ、お客には「女がしゃべるなんて気持ち悪い」と言われてしまう。 しかしそこは持ち前のたくましさで、「女だからと言われてもどうもできない。だからもうあんまり気にならなかったよね」と豪快に笑い飛ばす。 同時に、自身の中にも葛藤はあった。落語はもともと男性がしゃべるよう書かれた話で、女性が話すとどうも落ち着かないものがある。 「最初のころは男性がやる落語を同じように話していたので、やはりしんどかったです。だけどあるとき女性が主役になる落語を試してみたら、しっくりきて。新聞記者の方に、『やっと都さんに合うネタと出会いましたね』と言っていただき、そうか、こういうネタを選んでいけばいいんだと気づきました。 それが『悋気の独楽』という、妻がやきもちを焼く話。それからは女性がたくさん登場する落語を選ぶようになりました」 女性を自然体で演じられるのは女性落語家ならではの強み。古典落語で書かれた女性像も、違和感があれば手を加えていった。反面、男性を演じるのはやはり難しい。 「うちの師匠に、『女が演じる男は宝塚ちゃうか。おまえ、いっぺん宝塚を見てみろや』と言われて。最初は“えーっ”て思ったんですけどね」