ヤクルト青木宣親が、じつは尾崎世界観に明かしていた“引退のこと”「青木さんが引退するとき、一体自分はどうなってしまうのだろう…」
青木が明かす野球を始めた頃の「記憶」
幼い頃、家の近くの公園で活動している少年野球チームがあって、叔父が監督を務めていたんです。うちの兄貴がそこで野球をやっていたので僕も5歳くらいからついて行ってました。当時は球拾いやキャッチボールをしていたくらいで、正式に入ったのは小学校1年生からです。とはいえ、5歳から野球で遊んでいたことを思うと、もう37年くらいやっていることになりますよね。凄いですね。自分の人生の大半が野球です。なんで僕はギターと出会わなかったんだろう(笑)。中学校の理科の先生がギター弾いてました。部屋に行くとフラスコでコーヒーを作っているような面白い先生でした。あそこでギターに惹かれていたら、尾崎さんと同じ道を歩んでいたかもしれませんね。 物心ついた頃には野球をやっていた、という感じでしたけど、捕ったり投げたりするのが楽しくて、大抵のことはすぐできるようになりました。運動神経はいい方でしたし、小さい頃からずっと足は速かったですね。他のスポーツは小学6年生から中学に上がるまで3カ月間くらいバスケットボールとラグビーをやっていたくらいかな。当時は「スラムダンク」が流行っていて、遊びの延長でちょっと入った。ラグビーはうちの兄貴がやっていたので、真似してちょっとかじったという感じでした。 それでもバスケットボールで他の小学校との試合にも出た記憶があります。試合になるとなかなか点数って取れなくて、難しさを感じてそのまま終わってしまいました。僕らが子供の頃は今みたいに情報もなくて、身近にあるスポーツといえば野球くらい。ちょうどJリーグができた頃だったから、サッカーもやっていた子が増えてきたという感じだったかな。バスケとかラグビーはそれこそ漫画の中か、時々テレビで中継があるくらいで情報はあまりなかった。今みたいに多様な選択肢はない時代でした。
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