『デッドプール&ウルヴァリン』が映す時間の哲学 “長く生きる者”の苦悩と宿命を考える
映画のラストが泣ける理由
・映画のラストが泣ける理由 さて愛と不老について考えるとき、特に『デッドプール』に関連づけて紹介したい作品が『アデライン、100年の恋』だ。何を隠そうライアン・レイノルズの奥さんでもあるブレイク・ライブリー主演作で、交通事故と落雷を同時に受けたことで不老になった若き女性アデラインの苦悩を描くラブストーリーである。100年以上生きながら、永遠の29歳として過ごす過程で恋もしてきたけど長続きはしない。自分だけが歳を取らないのだから、デッドプールやローガン、フリーレン同様に、やはり愛する者を見送り続ける立場になってしまうアデライン。しかし、それでも誰かと恋に落ち、無限のようで有限な愛の時間を過ごそうとする彼女の物語が持つ哲学は『デッドプール&ウルヴァリン』に通ずるように感じる。 『アデライン、100年目の恋』 予告篇 同じ個体ではないにしろ『デッドプール&ウルヴァリン』のウルヴァリンがローラと再会し、2人でウェイドの時間軸にやってくる展開はローラにとってもウルヴァリンにとっても意味深い。何より“仲間との時間軸”を守ったデッドプールにとって、彼らとただ食卓を囲って笑い合う時間が最も大切であることが描かれるラストは、本当に泣けてきてしまうのだ。 そしてエンドロールには、ヒュー・ジャックマンを筆頭とする若き日のキャストとスタッフ陣が歩んできた『X-MEN』シリーズの軌跡が映像として流れる。そこに映されるものも、「時間」だ。懐かしさを覚えると同時に、彼らもこれだけ歳を取ったのだから、自分も歳を取ったのだなと嫌でも時間の経過を感じさせられる。しかしそれ以上に、アメコミ史において最も名を馳せ、重要なタイトルとしてジャンルを牽引してきた『X-MEN』という映画作品が、多くの人が彼らにとって有限である時間の多くを使い、愛を以ってして作られてきたことへの尊さに涙が溢れるのであった。 ・参照 ※ https://x.com/Marvel/status/1822681435129753618
ANAIS(アナイス)