被団協のノーベル平和賞受賞決定「世界にとって意味ある」…被爆者や観光客から平和期待する声
畑口さんは「同情されたくない」と長年、被爆者であることを隠してきたが、1997年に館長に就任したのを機に、自身が被爆者だと明かすようになった。母が見つけた父の遺品の懐中時計などを見せながら、証言活動を行ってきた。
「自分たちが最後の被爆者でありたい」。畑口さんはそう願っている。
「長崎を最後に」改めて決意
長崎市の平和公園では、平和祈念像の前で被爆者らの冥福(めいふく)を祈り、手を合わせる人の姿が見られた。
九州を旅行中だった福島県喜多方市の会社員、大原一さん(60)は「昨日テレビで受賞が決まったことを知り、朝一番に訪れなければと思った。平和の泉に書かれた文字を見て、原爆で亡くなった人、苦しんだ人を想像した。自分が見て感じたことを周りにも伝えたい」と話した。
受賞決定を知った外国人観光客も被爆地に関心を寄せている。米国から長崎市を訪れていたアレックス・トラベンさん(34)は「国際情勢が緊張感を増し、さらに戦争を経験した人が減っていく中で、人々が恐ろしさを忘れゆくのは簡単なこと。後世に伝えていくためにも、被団協の受賞はふさわしい」と評価した。
被爆遺構などを案内する「平和案内人」として訪れた被爆者の田中安次郎さん(82)は「活動の先頭に立ってきた色んな先輩方の名前や顔が浮かんできて、賞をいただけるような活動をしてきたことを誇りに思う。これからも長崎を最後の被爆地にと訴えていきたい」と決意を新たにしていた。