福島原発ルポ:続く長き闘い 緒に就いたばかりの廃炉
住井 亨介
東日本大震災によりメルトダウン(炉心溶融)を起こした福島第1 原発で、東京電力は事故後初めて「核燃料デブリ」の取り出しに成功した。廃炉作業での大きな一歩だが、なお長く厳しい道程が続く。苦闘する現場を取材した。
姿を変える原子炉建屋
福島第1原発を取材したのは2024年10月下旬。11年の事故発生当時、全国紙の取材班キャップとして事故の取材活動を統括していたが、現場に入るのは今回が初めてだ。敷地内は放射性物質の飛散を防ぐ措置が取られ、放射線量が高く全面マスクや全身を包む防護服が必要な「レッドゾーン」「イエローゾーン」は、原子炉建屋など一部区域だけになっている。敷地の大半が防護服の着用が不要な「グリーンゾーン」で、取材時もヘルメット、マスク、軍手などの軽装備だった。
東京電力によると、メディア取材を除く外部からの視察者は今年度8月末現在で7594人。23年度は1 万8516人で、11年度の913人から約20倍になった。コロナ禍の一時期は減少したものの、再び増加傾向にある。東電は事故直後、現場の高放射線量や散乱したがれきなど、危険性が高いことから入域を制限していたが、処理水の海洋放出といった作業の進捗(しんちょく)について広く知ってもらうため視察受け入れを増やしている。メディア取材者数の記録はないが、東電担当者は「最近は海外メディアを含め取材者数が増えている」と話す。
1~4号機の原子炉建屋を見渡せる高台に立つと、各号機で作業の進捗(しんちょく)状況が異なることが一目で分かる。水素爆発によって建屋の鉄骨がむき出しになったままの1号機は、事故の苛烈さを伝える。内部の使用済み燃料プールには、現在も核燃料392体が残されているが、建屋のがれきや大型クレーンなどは放置され、取り出し作業の障害となっている。作業時の放射性物質飛散を防ぐために建屋を覆う大型カバーの組み立ては、別エリアで進められている。
メルトダウンしたものの爆発を免れた2号機は、作業のための鉄骨部材に囲われている。3号機はひときわ目立つ外観だ。上部に使用済み燃料を取り出すために長細いドーム屋根が設置され、鈍い銀色に輝く。すでに燃料566体は全て取り出しが終わっている。事故当時、定期点検(定検)中だった4号機はメルトダウンを免れたが、3号機から配管を通じて水素が流れ込み、爆発を起こした。燃料プールにあった1535体を取り出すための構造物が覆いかぶさるように設置され、全体像はうかがいにくい。