子どもと「よい関係の教員」見分ける2つの観点 学級の「ボス」には1対1で個別に働きかけを
学級のボスや取り巻きの児童にはどんな対応をすべきか
学級の「ボス」的な児童が、取り巻きを従える形で学級の雰囲気を乱すケースも少なくない。 「皆の前で注意すると、『ボス』も周りの目を気にして反抗的にならざるをえません。休み時間にちょっとした手伝いを頼んで呼び出し、1対1になったタイミングで『最近、授業中の態度が気になるんだけど、ちゃんと集中できてる?』と伝えると、子どもも聞き入れやすいです」 「ボス」の児童への個別対応と並行して、取り巻きの児童への対応も忘れてはならない。 「『(ボスに)やれと言われたから』という理由で行動してしまう取り巻きの子どもたちは、将来、使い走りのような立場で悪事に巻き込まれる恐れもあります。今から回避するためにも、『本当にそれでいいの?』『自分はどう思っているの?』と問い続けることが教員の役割だと思います」 ボスと取り巻きの児童たちの団結力を、ポジティブな活動で発揮してもらうのも手だ。授業中は議論や調べ学習などチーム活動を充実させ、生活班の活動で、それぞれ「ボス」「取り巻き」以外の児童と交流できる機会を設けると、クラス全体の風通しがよくなると三好氏は語る。また、「ボス」が率いるグループではない児童への対応も重要だと三好氏は続ける。 「教室内で、2割の児童が望ましい行動をとり、2割がボスにつられて反抗的な態度をとるとすると、残りの6割がどちら側につくかで学級の雰囲気が変わります。この子どもたちは突出して目立つことが少なく、なかなかほめられる機会も叱られる機会もありません。こまめに声をかけたり、宿題のノートに一言メッセージを書いたりして、『よい行動をすると、先生もちゃんと見ていてくれる』という実感を持たせることが大切です」
教員が見落としがちな「ヒドゥン・カリキュラム」とは
さらに学級の雰囲気が悪くなる一因として、「ヒドゥン・カリキュラム」がある。三好氏によれば、「ヒドゥン・カリキュラム」とは教員が無意識のうちに児童に教えてしまっているもので、以下が例だ。 ・挙手している子どもの発言だけで授業を進める →「授業中は何も考えなくてもかまわない」 「人任せにしていれば自分が傷つかずにすむ」 「何もしなければ失敗することがなくて楽だ」 ・授業中に教員をあだ名で呼ぶのを許す →「授業時間と休み時間のけじめはつけなくてもよい」 ・授業中に不要な発言をしている子に教員が何も言わない →「授業中に不要な話をしてもよいのだ」 「先生はあの子を特別扱いしている。あの子の言うことは聞いておこう」 ・教員の机の上が散らかっている →「身の回りの整理整頓はしなくてもかまわない」 「先生は整理整頓をしろと言うが自分はしていない。本音と建前は違ってよいのだ」 ・教室の花瓶の花が枯れている →「植物は雑に扱ってもよい」 「教室内のものは汚れていてもかまわない」 「子どもたちはカリキュラムに含まれていない事柄も、言動や環境からこっそり学び取っています。例えば、授業中に挙手する児童が少ない場合は、一度全員を起立させ、自分の意見を持てたら着席してもらうことで、全員を『考える』という活動に参加させることができます。 教員の工夫次第でヒドゥン・カリキュラムは改善できます。自分が生み出しているヒドゥン・カリキュラムを自覚するには、他クラスの教員の意見を聞くなど外部の目を入れるとよいでしょう」