マジンガーZ、ライディーン、コン・バトラーV 亡き妻に導かれ、巨大ロボット描く ロボット大好き
■夫人の言葉
令和3年5月22日、宮武さんは神奈川県横須賀市の自宅で火事にあった。祖父の時代から続いた100年以上の家はアッという間に燃え落ちた。いったん避難した宮武さんだったが、姿の見えない智子夫人を求め、頭から水をかぶって火の中へ飛び込んだ…。「助けられませんでした。気が付いたらボクも大やけどをおって病院で寝ていました。何日も泣きました」
家屋は全焼。写真も持ち物も智子さんの思い出が残るものはすべて燃えた。少し落ち着いたころ、上村さんが古い肖像画を写した1枚の写真を持ってきた。古代エジプト時代のお金持ちが死ぬ前に埋葬用に描かせる肖像画だという。写真を見た宮武氏は息をのんだ。そこに描かれている女性はまさに智子さんだった。
「妻には4分の1、スラブ系の血が混じっているんです。でも、どう見ても妻そのものでした」。とっさに宮武氏は〝生まれ変わり〟という言葉を思い浮かべ、忘れようとしていたある日のことを思い出した。
数十年前に東京から故郷の横須賀市の実家に夫婦で移り住んだときのこと。2人で海岸線をドライブしていると、智子さんが話し始めた。「この道路のもう少し山側にもう一本、道があるの。その道には鉄道馬車が通っていてね」。まるで見て知っているかのよう。宮武氏はすぐに地元の歴史資料館に問い合わせた。すると明治30年代、横須賀―浦賀間を「石川馬車」という鉄道馬車が走っていた時期がある。だが、それを知っている人は地元でもほとんどいないという。智子夫人は山形県出身で知るはずもない。
「なぜ知っているのか―と問い詰めました。すると、昔、横須賀の美術館の近くに住んで、絵を描いていた。そのころ、ハレー彗星(すいせい)の大接近(明治43年)で世界中が大騒ぎになっていたというんです。私はこの話をするのを止めました。君が昔、誰だったか、知るのも恐ろしいから―と」
そのとき封印した思いが1枚の写真でよみがえったのである。智子さんは横須賀に住みだしてから絵を描くようになった。