永谷園の「お茶づけ海苔」、じつはいま「夏に需要が伸びまくっている」…その意外な理由
あのロングセラー商品はどのようにして生まれ、どのようにヒットをつづけてきたのか。その道のりをたどる「ロングセラー物語」。今回は、発売から72年となる、永谷園の「永谷園の お茶づけ海苔」にスポットを当てる。現在のブランド担当者が商品の歴史と今を語る。 【写真】「日本のどこがダメなのか?」に対する中国ネット民の驚きの回答 〔撮影:西崎進也〕 ---------- 【語る人】小川菜穂さん おがわ・なほ/神奈川県生まれ。大学卒業後、'98年に永谷園入社。開発部を経て、商品企画を担当。'24年よりマーケティング本部 商品マネージャーとして、お茶づけ・ふりかけを担当。 ----------
家でもおいしいお茶づけを
永谷園の祖は、江戸時代に煎茶の製法を開発した永谷宗七郎で、そのときの想いは「高級品だったお茶を、庶民も愉しめるようにしたい」というものでした。 その創始者の想いを受け継いだ10代目の永谷嘉男が戦後に作ったのが「永谷園のお茶づけ海苔」でした。 小料理屋の〆で食べたお茶づけが本当においしくて、これを多くの人が手軽に食べられるものにできないだろうか、と。この想いこそが永谷園のDNAなんです。 もともとお茶屋でしたから、お茶はふんだんにありました。海苔も売っていた。ただ、これだけだと食感や風味が物足りない。そこで浮かんだのが、嘉男の父親の故郷、京都のお茶づけ「ぶぶづけ」。 あられをかけて食べていたことを思い出し、あられを入れることを思い付きます。調味料も店に揃っていたので、集中して短期間で開発したと言われています。 当時は、戦後の荒廃から復興の時代へと差し掛かっていた時期。日本人が食べるものも少しずつ変わってきていて、量から質へというシフトが始まっていました。このタイミングで、お茶づけの「ホッとするおいしさ」が支持され、一気に売れていったそうです。 最初の苦労は、すぐに真似をされてしまったことでした。商標権を取っていなかったので対抗しようがなく、売り上げは大きく落ちたそうです。 競合に模倣品を安く売られ、ある日突然、取り扱いがなくなるようなこともあった。しかし、3年後にようやく商標登録ができ、簡単に真似されないよう商品名を「江戸風味 お茶づけ海苔」から「永谷園の お茶づけ海苔」に変更しました。 この商品の最大の特徴はパッケージデザインです。当時のお客さまに大きなインパクトを持って受け止められましたし、それは今も変わらないと思っています。 商品を江戸風に見せたかったということ、さらに嘉男が歌舞伎好きだったこともあり、歌舞伎の幕間に引かれる定式幕をイメージしたそうです。商品ロゴも、勘亭流をモチーフにしました。 これが、いまだに古臭さがまったくないんですね。ですから味と同様、パッケージデザインもほぼ変わっていません。調査をしても、変える必要性を感じないんです。