【冬休みに読みたい本】英訳『源氏物語』を“日本語訳”した『源氏物語 A・ウェイリー版』の異質な魅力とは
20世紀初頭にイギリスのアーサー・ウェイリーが英訳した『源氏物語』。その“日本語訳”が今、異質な輝きを放ち、現代の私たちを魅了する。 冬休みに読みたい本(写真)
古典の現代語訳がどうも苦手だ。現代語訳をされたもので古典文学の作品を読み通せたことがない。私は日常的に古語に接している能楽師で、かつ文学部出身なので、「日本の古典は原文のまま読んだほうがいい」と常々主張してきた。「日本人なんだから古文で読めるはずだ」と。が、驚いた。『源氏物語 A・ウェイリー版』は読み通せた。読み通せたどころか一気に読んだ。 本書はイギリスの東洋学者、アーサー・ウェイリーが約100年前に英訳した『源氏物語』を、毬矢(まりや)まりえ(俳人・評論家)、森山恵(詩人)姉妹が「らせん訳」したものだ。「らせん訳」は姉妹の造語だ。紫式部の古文をウェイリーが英語に訳し、さらにそれを現代日本語に訳す、その過程で、らせんを描くようにどんどん別の次元へと上がっていくがゆえの「らせん訳」である。 たとえば「光る君」という語をウェイリーは「Genji the Shining One」とした。これを日本語訳するなら、原文に戻して「光る君」、あるいは「光源氏」とするのが普通だろう。ところが、姉妹は「シャイニング・プリンス」と訳した。これによってひっかかりが生まれる。「光る君」や「光源氏」は、日本人には聞き知った語である。聞き慣れているから「あ、光源氏ね」とスルーしてしまう。が、「シャイニング」と訳されることによってひっかかりが生まれ、「おお、光源氏は本当に光っていたんだ」と改めて気づく。そして、この「ひっかかり」=「異質感」こそが、本書を一気に読ませるのではないかと思う。 現代人にとって古語はもとより異質である。だからか、私たちは古文を読むときには薄氷を踏むがごとくに読む。異物に触れるようにおそるおそる読む。たとえば「あはれ」という古語を目にしたときに、私たちの知っている「哀れ」とは違うだろうと思って読む。「では、なんだろう」と思いながら読む。だから、読書の速度は当然ゆっくりになる。すると自然に「味わう」ことになる。現代語の文章を読むときは違う。ほぼ無意識に、大事なところを拾いながら読んでいる。読み方は速くなる。スキッピングしている。情報収集としての読み。つまみ食いである。味わっている余裕も、咀嚼(そしゃく)しているヒマもない。 ふだんの「読書脳(なんて言葉はないが)」はこれだ。古典を現代語訳しようとする人たちは、私たち読者のことを思ってわかりやすく訳してくれる。だから古典の現代語訳を読むときにもこちらの読書脳が自然に発動してしまう。しかし、一帖一帖、人の手によって写されてきた古典はそのように読まれることは意図されていない。じっくり、ゆっくり読まれるように書かれている。だから、現代語を読む読書脳で読むと、古典は面白くもなんともないのである。 異質感によるひっかかりがちりばめられた本書は、現代語で読みながら、古文を読むときの読書脳が発動するのである。しかも、物の怪はエイリアン、験者はエクソシスト。輝く日の宮・藤壺は、プリンセス・グリタリング・サンシャイン、ウィステリアの花器だ。平安中期の『源氏物語』世界に、中世ヨーロッパの世界も重なって、なんとも幻想的な異界に連れていかれるのだ。 『源氏物語 A・ウェイリー版』(全4巻) 各3,520円/左右社 著者/紫式部 英訳/アーサー・ウェイリー 日本語訳/毬矢まりえ・森山恵 和歌表記監修/藤井貞和 装幀/松田行正+杉本聖士 BY NOBORU YASUDA