コロナ禍の緊急病院の激務に疲れて退職した薬剤師が、一念発起して小説執筆……角川春樹賞でデビューの32歳
主人公の真(まこと)は、バンド演奏に合わせて絵を描く活動をしていた。メジャーデビュー時にメンバーから外され、引きこもっていたが、親戚に誘われ、狩野派の流れをくむ画家の復元模写に携わる。
「自分がまず元気になれる作品を書きたかった。現代のストレス社会も小説に癒やしを求めているのではないか」
不遇だった画家の足跡や筆跡をたどるうち、復元模写の奥深さに触れ、傷心を回復する姿や、制作の苦悩や葛藤、感動を丁寧に描いた。
福岡市の救急病院で薬剤師として働く傍ら、小説も書き、作家塾に通って仲間に刺激を受けていた。その後のコロナ禍の激務で心身とも疲弊したのを機に退職。故郷の佐賀県嬉野市に戻り、好きだった小説に本格的に取り組んだ。
着想は旅先の名古屋城の本丸御殿で得た。「全体が美しく、それが復元された建造物だと知り、魅せられました」
復元模写は未知の世界。美大生らの論文を読みあさり、動画サイトで日本画家が岩絵の具を扱う様子を見てイメージを膨らませ、画家が実在したかのように繊細な日本画の世界を描き出した。「あまり知られていない復元模写の世界を表現するにはリアリティーが必要だった。現実とフィクションの間を細かい描写で表現することに腐心した」と振り返る。
「調べれば何でも小説で描けるという手応えを得て、自信につながりました」
自分を見つめ直し、絵を描くことを通じて再生する若者の物語は、自身にとっても新たな一歩となった。地元で薬剤師として再出発し、2作目の執筆にも意欲を燃やす。(角川春樹事務所、1650円)後田ひろえ