日本代表が抱えた「爆発しそうな不満」 突きつけられた現実…支えになった先輩GKの背中【インタビュー】
小川航基はプロ1年目で出場ゼロ「めちゃくちゃムカつく」
トップの舞台で輝き放った選手はどのようなキャリアを歩んで来たのか。何を考え、何と戦い、挫けて這い上がったのか。「FOOTBALL ZONE」では選手の半生を深掘りする連載を実施。日本代表FW小川航基(NECナイメヘン)は国際Aマッチ9戦9発と森保ジャパンに欠かせない存在になっている。名門・桐光学園時代から絶対的エースとして大きな注目を浴びていた小川がサッカー人生で「一番悔しかった」と話す出来事とは――。鳴り物入りからプロの厳しさを痛感した瞬間を明かした。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞) 【写真】「美人すぎん?」「誰?」 日本代表FWの隣に“美女”と話題の1枚 ◇ ◇ ◇ いつも柔和な笑顔を見せ、周囲を盛り上げる明るい小川も、思わず顔をしかめた。「もうとにかく悔しい、爆発しそうな感じのストレス、不満でした」。プロ入り1年目。ジュビロ磐田での日々は過酷だった。 桐光学園時代に全国高校サッカー選手権で大きく注目され、鳴り物入りでプロの世界へと飛び込んだ。磐田では背番号「18」を託され、期待を集める中でJリーグでの挑戦が始まった。 「本当になんて言ったらいいんですかね……。練習しても練習してもJリーグでなかなか出られなかった。19歳、20歳で試合に出るのが理想的だったけど、やっぱり若い年代で抜擢されるのは限られている。同じポジションに外国人がいたりして……。理解せざるを得ない状況にはあったと思うけど、プロに入って試合に出られなかった時期は一番悔しかった。マジでキツかったなと思います」 今から8年前の2016年、プロとしての第一歩を踏み出した小川のJ1リーグ戦出場は0だった。カップ戦含めても公式戦は3試合出場に終わった。翌2017年、第4節のヴィッセル神戸戦に途中出場し、ようやくJリーグデビューを果たした。だが、結果的にこの年もわずか5試合、137分間の出場に終わった。U-20ワールドカップ(W杯)中に左ひざ前十字靭帯断裂と半月板損傷の大怪我を負って長期離脱を強いられ、プロになって2年間、リーグ戦ではノーゴールだった。