「ヴィッセルと震災は切り離せない」神戸、クラブ初の2連覇 高校3年で被災の指揮官「震災と共に立ち上がったクラブ」
◆明治安田J1リーグ▽最終節 神戸3―0湘南(8日・ノエビアスタジアム神戸) 神戸がクラブ史上初の2連覇を果たした。最終節で湘南を3―0で下して勝ち点を72に伸ばし、初優勝した昨季に続く頂点に立った。2連覇は20、21年に達成した川崎以来で6クラブ目。広島、町田を含む3チームで最後まで優勝を争ったシーズンを勝ちきり、11月の天皇杯に続いて2冠を獲得した。阪神大震災が発生した1995年に現チーム名で活動を開始してから来年で30年の節目を前に、強豪クラブに成長した。 満員の本拠ノエビアスタジアムに、吉田孝行監督(47)の絶叫が響いた。「俺らが一番! 俺らが強かった」。スタッフ、選手らは涙と笑顔で2連覇の喜びに浸った。同一シーズンに天皇杯との2冠も達成して常勝軍団の仲間入り。指揮官は「ヴィッセル史上、最高のシーズンでした」と誇り、高く拳を突き上げた。 競り合いで優位に立つと前半26分、FW宮代が先制。同43分にMF武藤、後半25分にMF扇原が加点した。昨季から継続する前線からのプレスと、ロングボールを織り交ぜ縦方向に鋭く進む速攻に、今季は個々のプレー強度が加わり、混戦のシーズンを快勝で締めた。 公式戦52試合(リーグ38、天皇杯6、ルヴァン杯2、ACLE6)を戦い抜いた。カギは9月13日から24日間、7連戦を乗り切ったこと。「今年が一番きつい」と話す選手もおり、関西から約4160キロ離れたタイへの遠征などが心身を疲弊させた。しかし、大迫ら元日本代表勢だけではなく宮代らの台頭による戦力の厚さと、戦術の浸透が強行日程をはね返した。「夏以降の連戦を乗り切れば優勝できると頭にあった」とする吉田監督は「全員が戦術を理解している」と自信を持って、ターンオーバーを断行した。 IT企業である親会社の楽天グループの強みも生かした。筋肉量など体組成データの蓄積から体の変化が分かり、血液からは疲労度を測るなどして選手起用の下地とした。また、外部のプレー計測値も利用し、補強の成功にもつなげた。 すると指揮官が「転機」と語るタイ遠征からの帰国直後、9月22日の新潟戦で逆転勝ち。11月に入って首位に立つと、負けなしでゴールテープを切った。吉田監督は「みんなの力で連覇が達成できた」と関係者一丸で迎えた黄金期を誇った。 ヴィッセル神戸としての初練習日だった95年1月17日、阪神大震災が発生。当時、高校3年生の吉田監督は兵庫・川西市の自宅で被災した。「ヴィッセルと震災は切り離せない。震災と共に立ち上がったクラブであることを、今の選手も知らないといけない」。エディット・ピアフの「愛の讃歌」のメロディーに乗せた「神戸讃歌」はチームの象徴となり、この日は観客2万7444人が大合唱した。震災から30年の節目を迎える来季の続投要請を受けた吉田監督。シャーレを掲げた指揮官を囲んで、歌い上げられた神戸讃歌は、いつも以上に力強くスタジアムに響いた。(森脇 瑠香) ◆今季の公式戦 J1クラブでリーグ戦、ルヴァン杯、天皇杯、ACL、今年から始まったACLEを含めた試合数は横浜Mが最多の61試合。次いで広島の54試合、神戸は川崎と並ぶ3位タイの52試合を行った。最少は浦和と磐田の40試合。 ◆ヴィッセル神戸 1966年に岡山県で創部された川崎製鉄水島サッカー部が前身。94年に神戸市をホームタウンとし、現名称に改称。97年にJリーグ加盟。名前の由来は「勝利(VICTORY)」と「船(VESSEL)」から生まれた造語。本拠地はノエビアスタジアム神戸。
報知新聞社