「はっきり言って冗談じゃない」義父母の介護を3年超→情熱が一気に冷めた「義父の行動」とは
仕事と家事を抱えながらも、認知症の義母と90歳の義父の介護に奮闘していた村井理子氏。しかし、義父のめんどくさい行動に村井氏はうんざりしてしまったという。義父の“かまってちゃん”行動とは?本稿は、村井理子『義父母の介護』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 著者の介護の情熱が 冷え切った理由 2023年の正月を無事迎え、めでたしめでたし……となるはずだったのだが、私の後期高齢者介護の情熱は、見事に冷え切ってしまっている。そもそも、情熱なんてものはなかった。私しかいないから、目の前に困っている人がいたら助けなくてはいけないから、必死に動いていただけのことだった。義父というよりは義母が気の毒だったから、私は行動に移したのだ。 進行の速い認知症で困りごとが多い義母との間には、不思議なシスターフッドまで生まれていた。完璧なまでの主婦だった義母が、全ての家事を諦めた。それは彼女にとって、大きな失望であり、屈辱だっただろう。そんな彼女を見ていたら、手伝わないわけにはいかなかったのだ。そりゃあもう、過去の恨みつらみは消えていないわけだけれど、そんなことを言っていられない状況だ。 正直に言えば、義父は義母のついでだった。こういった事情で3年超にも及ぶ介護生活を送ってきたわけなのだが、今、私のなかのシスターフッドまで枯渇しつつある。理由は何か。冷静に考えてみた。そして辿りついた答えは、義父だった。 私って意地悪だなとも思う。同時に、はっきり言って冗談じゃないとも思う。
何が私をそこまで苛立たせているかというと、義父の甘えである。昨年の年末、義理の両親は新型コロナウイルスに感染し、義母は軽症で済んだものの、義父は高熱を出して意識が朦朧とした。ケアマネさんに訪問看護師を派遣してもらい、発熱外来に運び込んだ。その時の義父の行動が、ずっとずっと私の心に引っかかっている。そして消えない。 ● 一番可哀想なのは いったい誰? 高熱が出て、息も絶え絶えになった義父を見た看護師さんは、救急車を手配しようとした。しかし、当時はとにかく患者数が多く、救急車を手配してもらうことはできなかった。 仕方がないので、私と訪問看護師さんで、意識が朦朧としていた義父を担いで、私の車の後部座席に運び込んだ。義父は一切体に力が入らない状態で、両足を引きずってようやく車に運び入れたのだ。しかし義父は、私たちがゼエハアいいながら彼を車に運び込んだあと、義母の身支度を整えるあいだに、自分で車を降りてスタスタと軽快に歩いていたのである。