藤井七冠の師匠・杉本八段「2人は“真のライバル”になった」伊藤新叡王誕生の瞬間は「自分の事のように悔しく」
Q.藤井七冠が“八冠”を保持していた期間は254日。同じく全冠を保持していた羽生善治九段は、当時七冠だったが167日だった。日数は大きく上回っているということになるが、全冠保持のプレッシャーは 杉本八段: 「プレッシャーというよりはどちらかというと、現実問題として全冠を保持する体力も必要ですし、スケジュールも過密なものだったと思います。将棋界で唯一のタイトルホルダーということで、負担は大きかったと思います」 Q.藤井七冠から最初にタイトルを奪うのが伊藤新叡王だと予想していたか 杉本八段: 「十分あり得るとは思っていました。ただ現実的には、例えば永瀬さん、渡辺さん、豊島さんといった、それまでタイトル戦を常に戦っている方たちが奪い返すんじゃないかと予想していました。でも伊藤さんは実力者ですから、全くこの結果はおかしくはありません」
伊藤新叡王は、2002年10月10日生まれで藤井さんと同学年で、17歳11カ月でプロ入りしました。両親が名古屋出身ということもあってドラゴンズファンで、LINEのアイコンはドアラだと話しています。 小学校3年生の時、伊藤少年と藤井少年が将棋大会の準決勝で激突し、伊藤少年が勝って藤井少年が大泣きしたということから、『藤井さんを最後に泣かせた男』という異名を持っています。
Q.杉本八段が最初に伊藤新叡王を知ったのはいつ頃? 杉本八段: 「藤井七冠が私の弟子になってだいぶ経ってからで、それまではあまり意識したことがなかったんですけど、当時から関東で“強い少年”ということで有名だったみたいです。『関東の伊藤』『西の藤井』みたいな関係だったのではないかと思います」 Q.藤井七冠から伊藤新叡王の話を聞くことはあったか 杉本八段: 「それはなかった。もしかしたら兄弟弟子には言ってたかもしれないです。お互い東京、大阪の奨励会に入って、意識はしていたと思います。(伊藤新叡王が)強い少年だなというのは知っていましたから。いずれプロになるだろうなとも思ってましたけど、ここまで強くなるんだなと」