50代で故郷・石川県能登への「移住」を決意。義母を看取って離婚、実母と暮らしたい気持ちに
キッチンカーを購入。「やりたいこと」を優先できたわけ
――石川県への移住に伴い、今秋、調理師だった息子さんとともにキッチンカーを開業しましたが、始めてみていかがでしたか? なとみ:もう、たいっへん!! (笑)慣れていないこともあって、始めて1か月は、食材の仕込みで徹夜するなんてこともありました。今は平日は息子ひとりで回せるようになってきたので、週末のイベントは手伝いつつ、キッチンカーの営業がない日にイラストやマンガの原稿を集中してやるスケジュールにしています。 大変ですが、来てくださる方との触れ合いや新しく広がった人間関係のおもしろさも含めて、忙しくも充実しています。念願だった“スナック風”営業もできて、試行錯誤しながら楽しんでいます。
Uターン移住後の誤算!母との同居のはずが
――石川県の中心部に移住後、現在は故郷・能登町への転居計画をすすめているそうですね。 なとみ:石川県に帰ったはいいけれど、母が「やっぱり施設を出たくない」と言う大誤算があって、今住んでいる地域での同居計画は頓挫(笑)。母と住まないのであれば、中心部にいる必要はないので、もともと実家のあった能登町に移住しようかなと。 私の実家周辺も過疎化・高齢化が進んでいますが、50代で運転免許も取得しましたし、親せきのおじさん、おばさんたちの役に立つこともあるんじゃないかなと。 今はあき家になっている実家の水まわりをリフォームして、そこに拠点を移す予定を立てていました。現在は、今年1月に起きた「令和6年能登半島地震」被害の復旧を優先して一旦計画を中断していますが、災害を経ていっそう、戻りたい気持ちは高まっています。
お金の不安はあっても「どうにかなる」
――もともとは「老後のお金の不安」に端を発した移住計画でしたが、大きな投資をして不安感はないですか? なとみ:うーん、なんだろう…。本当にお金はたくさん使ってしまったし、キッチンカーをやらなければ、もっと貯蓄はあっただろうなと思うんですが…。でも「なんとかなるか!」って、今は前向きです。 自分がいくらあれば暮らしていけるのかも見とおしがついて、年金や保険を見直したり、iDeCoやNISAを始めて安心感が増したのもあるし、かつての、夜眠れなくなるような激しい不安はなくなりました。 「仕事がなくなったら、友達がやっているお店でバイトさせてもらおう」と、いい意味で開き直れるようになりました。あとは、キッチンカーの看板メニュー・豚丼の「塩ダレ」がめちゃくちゃおいしくて。商品化できないかな? とか、新ビジネスの妄想をしたり。 結局、必要なものって健康と人とのつながりなんだなと気づくことができました。あとは筋肉(笑)。まあ、お金も少しはあるといいかな。
ESSEonline編集部