ステーキから焼き鳥まで…仁義なき「パクり文化」の外食産業が、閉店ラッシュに見舞われる当然の理由
● 外食産業の供給過剰を招く 「パクリ文化」の深淵 では、なぜ日本はこのように供給過剰ともいうほど飲食店が爆発的に増えたのか。日本人の食への強いこだわりとか、日本食の奥深さなど、どうにかして日本人の高い精神性に話を持っていきたいところだが、産業構造的にいえば「パクり文化」によるところが大きい。 ラーメン屋でも居酒屋でも人気が出て繁盛すると、すぐに同業者がそれをパク……ではなく、インスパイアされたような、似たコンセプトの店を出す。そして別の同業者が再びそれをオマージュするという感じで、似たような店が大量にあふれていく。繁盛店と似ているのでそれなりに客も入る。こういうサイクルが繰り返されていった結果、気がつけば日本は「世界一の飲食店大国」になっていたというわけだ。 このサイクルを理解していただくには、「いきなり!ステーキ」が好調という時期を思い出していただくといいいだろう。同店がメディアで盛んに報じられてほどなくすると、「やっぱりステーキ」「カミナリステーキ」、さらには「あっ そうだステーキ」などというビミョーなネーミングの店が、続々と乱立したのである。 「プライドがないのか」と呆れる方も多いかもしれないが、このような「模倣の連鎖」こそが飲食業界を発展させてきた側面もある。わかりやすいのは、大手焼き鳥チェーン「鳥貴族」からロゴが似ていると訴えられた「鳥二郎」の主張だ。 《答弁書では「飲食業界は模倣を前提に成り立っている。競合店が互いに模倣し合って外食産業は発展してきた」とし、業界で“パクリ”は常識だと主張。鳥貴族の社長が以前に経済誌のインタビューで、行きつけの飲食店が均一価格だったことをヒントに価格を「280円均一」にしたと明かしていたとし、「社長も模倣が起業のきっかけになったと認めている」と指摘した。》(産経WEST 2015年6月16日)
だからと言って、ロゴをパクっていいという話にはならないのだが、この指摘はそれほど間違っていない。古くは江戸時代から飲食店は「模倣」を前提として発展してきたという、動かし難い事実があるのだ。 たとえば江戸後期、葺屋町(現在の日本橋人形町)に「三分亭」という居酒屋ができて人気となる。三分とは銀三分で、今の貨幣価値だと360円くらいだ。つまり、これは「360円均一のつまみで酒が飲めますよ」というコンセプトの居酒屋だ。 するとほどなくして、「いきなり!ステーキ」のようにすさまじい勢いで似た名前の店が乱立する。1845年ごろの江戸の風俗を記した『わすれのこり』にはこう記されている。 「所々に三分亭という料理屋多く出来たり。座敷廻り綺麗にして、器物も麁末なるを用ゐず。何品にても三分づゝ、中々うまく喰はす」 ● 「完コピ」が得意な日本人は 「吸収消化」する民族? もちろん、このように売れているものを模倣するというのは、市場経済のある国で見られる普遍的な現象だ。ただ、日本人の特徴としては「忠実に完コピをする」ということがある。かつて日本メーカーは、欧米の製品を忠実に完コピするところからスタートした。松下電器が「マネシタ電器」などと揶揄され、松下幸之助氏が「日本人は決して単なる模倣民族ではないと思う。吸収消化する民族である」と反論をしたことからもわかるように、日本人の商いの精神のベースには「模倣」があったのだ。 この模倣は参入障壁が低い業界であればあるほど活発におこなわれることは言うまでもない。その代表が、飲食業界だ。特別な技術やノウハウがなくとも、人気店のコンセプトや名前をパクれば、それなりに客を集めることができる。 しかし、当たり前だが客商売はそんなに甘いものではないので、中身を伴わない店はクチコミで悪評がたってすぐに閑古鳥が鳴く。また、そこまでひどい店ではなくとも、模倣があふれて供給過剰になるので消費者からは飽きられてしまい、結局、潰れてしまう。