小松原庸子、92歳。「真夏の夜のフラメンコ」を始めて半世紀以上。柳橋の花柳界で生まれ、東京大空襲を生き延びて
東京は柳橋の常磐津の師匠の家に生まれた少女が、28歳で観た舞踊に魅せられスペインへ。以来六十余年、日・西で学んださまざまな芸を創造の源に、挑戦を続ける(構成=篠藤ゆり 撮影=木村直軌) 【写真】「真夏の夜のフラメンコ」のフィナーレでステージに立つ小松原さん * * * * * * * ◆実現させたい 持続させたい 7月29日、日比谷野外音楽堂の100周年記念行事のひとつとして、「真夏の夜のフラメンコ」を開催しました。私たちが日比谷でこのイベントを始めたのは、もう半世紀以上前。今年は第52回になります。コロナ禍の1回を除き、毎年続けてきました。 今年は記念行事にふさわしく、お祭り気分あふれる情熱的な舞台にしたい。そう思って、和太鼓奏者の林英哲さん率いる「英哲風雲の会」の皆さん、初共演のスペインの若手ダンサーと、高円寺阿波おどりの「吹鼓連」の皆さんとともに、3時間を超えるステージに。舞台とお客様がひとつになり、大いに盛り上がってくださいました。 阿波おどりの方に参加いただいたのは、小松原庸子スペイン舞踊団の本拠地が高円寺だから。何年か前、ぜひ舞踊団の人たちも阿波おどりに出てほしいと言われて、お稽古をつけてもらったことがありました。そのときは私どもで招聘していたスペイン人も参加して、みんなで楽しい時間を過ごしました。 「真夏の夜のフラメンコ」開催にあたっては、前日に舞台稽古を行い、当日はリハーサルを含めての長丁場です。皆さんご存じのように、この夏の暑さはちょっと異常でした。舞台上に冷房の空気を流しても、なにせ野外ですから、暑さは半端なものではありませんでした。
私はリハーサルはすべて立ち会い、よりよい舞台になるよう頑張りましたが、暑さに慣れているとはいえ、今年の異常な気温はさすがに老いた身にはこたえた。公演が終わってしばらくしてから疲れが出て、生まれて初めて体調を崩して入院してしまいました。 幸いたいしたことはありませんでしたが、今までとは違う点がひとつ。私は《創る》ことが大好きで、例年だと舞台稽古が終わり、本番が始まったとたん、「来年はこうしよう」「こんなふうにしたい」とアイデアが湧きます。ところが今年は、何も思いつかない。こんなことは初めてでした。 まぁ、もう少し休んだらアイデアが湧いてくるでしょう。私は楽天家だし、年齢のことなんか一切考えたことがないので、あまり心配はしていませんが――。 半世紀以上前に「真夏の夜のフラメンコ」を始めたのは、1961年から数年間、フラメンコの修業に行った際の経験からです。夏になるとスペイン各地で「フィエスタ・デ・エスパーニャ」という野外公演があり、フラメンコをはじめ各地方の民族舞踊やバレエ、モダン、オペラなどが上演されます。 スペインのことですから始まるのはようやく涼しくなる頃、夜の10時すぎ。ワインやビールを片手に観る野外での舞台は本当に楽しくて、帰国して自分の舞踊団を持ったらぜひ開催したいとずっと思っていました。 私は、やりたいと思ったことはどうしても実現させたい、持続させたいがモットー。おかげさまで今年、52回を迎えた次第です。