“世界3大激痛”の1つ「群発頭痛」に20年悩まされた男性、地獄の日々も得られぬ理解「頭痛が要因で3度の転職」
■「気合いで乗り切れ」 頭痛のつらさを理解してもらえず厳しい対応をされたことも
――発作が起きたときは、どう対処するのですか? 【パパおじ】いきなり首が凝ったり肩が凝ったり、片側の鼻がふさがって通らなくなってしまったり、頭痛前の予兆があるので、そのタイミングで別室に行かせてもらって回避していました。ただ、そのようなスペースがない場合もあるので、学生時代は事前に先生たちに伝えてスペースを用意してもらっていました。 ――外に出ないほうが安全という面もある? 【パパおじ】ピークの期間が1ヵ月くらいあるのですが、その期間、私は部屋から動かないです。群発頭痛の患者の方の中でも、強い症状が出る方とそうでない方や薬がよく効く方がいます。なので、働きながらという人も中にはいます。 ――パパおじさんは、どのような治療をされているのでしょうか? 【パパおじ】私は高濃度酸素を吸っているときだけ、少し痛みが緩和されます。当時は保険適用外だったのですが、2年ほど前にやっと保険がきくようになりました。私は今39歳なのですが、31歳のときに群発が一度終わって、8年空いて今年発作が来ました。だから今回、初めて高濃度酸素を保険適用で使わせてもらっています。保険適用外だった頃は2ヵ月で40万円かかっていました。 ――そんなにかかるなんて…大変でしたね。 【パパおじ】私の場合は、ありとあらゆる薬を試したのですが、唯一効くのが高濃度酸素しかなかった。これがないと生きていけないと思って、親にもお金を借りて助けてもらいました。もちろん自分でお金は貯めていたのですが、生活費もあって、そこに医療費も乗っかってくるのでなかなか大変な社会人生活でした。 だから今回、群発頭痛に8年ぶりになったのはすごくショックだったんです。年をとればとるほど発作の間隔が空き、痛みも弱くなる傾向があるからです。今回、唯一効く高濃度酸素に月2万円程度しかお金がかからない点だけは良かったです。 ――就職してからはどのような感じでしたか? 【パパおじ】それまでは友人関係などでしたので、ある程度は理解をしてくれた部分もありましたが、仕事となるときついことを言われたこともありました。この病気の中でそこが一番の問題だと私は思います。群発頭痛という名前のせいで、知らない方からするとただの頭痛なんです。だから、「耐えられる」とか「気合いで乗り切れ」とか言われてしまう。 ――「頭痛薬を飲みなよ」とかですよね。 【パパおじ】そうです。そういうレベルの話ではなくて、世界3大激痛に指定されていて、人が感じられる痛みの中で最も痛いと言われているにもかかわらず、なかなか理解してもらえない。休んでしまうと、クビになるか、戻ったときに出世の芽を摘まれたり、「あいつは休むヤツ」という目で見られたりしてしまう。そこがこの病気でしんどかった部分です。私も頭痛が要因となり、3度転職をしました。 ――今の職場は理解がある? 【パパおじ】ものすごく理解してくださっています。群発頭痛を抱えていることを正直に打ち明けて入社しました。「今年もこなくて良かったね」と昨年まで声をかけていただいたのに、ついに群発頭痛の発作を会社で起こしてしまって。とてもショックを与えてしまいました……。それでも、会社の方たちが『こんなにひどい病気があるのだ』と症状について調べてくださったって。今は休職させてもらい、発作に備えられる環境が作れています。私のSNSのDMに来る悩みもほとんどが仕事のことです。同じ病気を抱えている人たちのためにも、できるかぎりこの病気のことを伝え続けていきたいと思います。 ――世の中への理解を進めるために、どんなことが必要だと思いますか? 【パパおじ】まずは指定難病に認定されることが、この病気の理解を深めるためには必要です。「指定難病に認定されている病気です」というだけで聞こえ方が大きく変わる。そこを変えないとただの頭痛という認識のままなんです。指定難病になると、医療費も安くなるし、薬の開発スピードも変わると言われています。私が動いたことで何かが変わるのならそれが一番の近道だと思い、今こういった活動をさせていただいています。