「日本は死んでほしくないけど泣いちゃうよ」保育園に入れず朝5時台の電車を親子で5路線乗り継いだ 近藤さや香が直面した保活の壁
近藤さん:そうですね。義務教育が終わってからとか、子どもが自立してからという考え方もあると思うのですが、私の場合は、もしかしたらそのころには自分に仕事がなくて自分自身が自立できなくなっている可能性もありますし、不条理だなと思いながら過ごすより、1日も早く今の状況から自分を解放してあげたいと思ったんです。何より、自分が楽しくない状態を子どもに見せ続けたくないと思うと、離婚をあと押しする理由のほうがどんどん出てきて。当時はまだ息子が赤ちゃんだったので「物心がつく前に、早ければ早いほどいい」と考えたのですが、多感な時期だったら果たしてどのような判断をするのかわからないですね。ケースバイケースなので、そのときどきによって正解は違うかもしれません。
■保活に奔走、シッター探しでは全社に断られ ── 著書では、待機児童問題に一石を投じるきっかけとなった8年前の匿名ブログ「保育園落ちた、日本死ね!!!」を引用し、「日本は死んでほしくないけど泣いちゃうよ」と、近藤さんご自身も保育園探しに奔走した様子が書かれていました。離婚前後の保活について聞かせてください。 近藤さん:産後3か月のときに、横浜のみなとみらいにあるFMヨコハマで、ラジオDJをすることが決まりました。チャンスをつかみ取れたことはすごく嬉しかったのですが、都内在住だった私が県をまたいで保育園に入れることはほぼ不可能で。いかに保育を必要としているかを示すランクがあるのですが、ランクづけにアルファベットを採用する神奈川県には、「県外の人はIランクからになります」と言われたんです。これはダメだということで都内の保育園を探したものの、当時住んでいた世田谷区は激戦区だったので、民間が運営する園を見学したくても見学日をアナウンスする日が決まっていて。まずはその日の午前9時に電話で見学日を聞き「予約します」と言わなければ、園を見に行くことすらできない状況だったんです。でも、午前9時はちょうど番組が始まる時間で、私は放送中なので、デスクにいる番組プロデューサーが園に電話をかけてくれたこともありました。サポートしてくれたスタッフさんたちには本当に感謝しています。